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樫尾和雄氏が死去。腕時計「G-SHOCK」は12年間販売不振。米国から販売する決断をしブームを引き寄せた樫尾和雄こそ「G-SHOCK」を売った男。

樫尾和雄氏が死去。腕時計「G-SHOCK」は12年間販売不振。米国から販売する決断をしブームを引き寄せた樫尾和雄こそ「G-SHOCK」を売った男。

樫尾和雄氏が死去

 

出典:CASIO

 

カシオ計算機の会長 樫尾和雄氏が2018年6月18日に死去しました。

89歳でした。

ご冥福をお祈りいたします。

 

大ロングセラー商品「G-SHOCK」

 

出典:G-SHOCK

 

2017年8月末の時点で、世界累計1億個を出荷している「G-SHOCK」。

僕も結構なファンで、4本持っています。

タフなものから、ポップなものまで、シーンに合わせて使えます。

何といっても自動補正と太陽光発電は便利です。

丈夫だし、半永久に使えるような気さえします。

壊れないのに1億個を売ってしまうというところに、世界のファンがいかに「G-SHOCK」に魅力を感じているかを物語っていますね。

ブランドものの時計より値段も手ごろというところも「G-SHOCK」の魅力ですね。

そんな「G-SHOCK」は、実は発売してから12年もほとんど売れていない商品だったことをご存知でしょうか?

大好きな「G-SHOCK」を売った男、樫尾和雄氏について書かせていただこうと思います。

 

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樫尾和雄氏とカシオ計算機の歩み

 

出典:電卓博物館

 

樫尾和雄氏はカシオ計算機を創業した「カシオ四兄弟」の三男です。

2018年現在の樫尾和宏社長は、樫尾和雄氏の長男です。

 

カシオ四兄弟(左から、樫尾幸雄氏、樫尾和雄氏、樫尾忠雄氏、樫尾俊雄氏)

出典:カシオ科学振興財団

 

樫尾忠雄氏(長男・故人)が経営していた工作機械工場「樫尾製作所」に入社し、兄弟4人で世界初の小型純電気式計算機「14-A」を開発。

1957年に「カシオ計算機」を創業しました。

樫尾忠雄氏が経営、樫尾俊雄氏(次男・故人)と樫尾幸雄氏(四男)が商品開発にあたり、樫尾和雄氏は営業面でめきめきと力を発揮していきました。

 

1972年に発売した世界初の一般消費者向け電卓「カシオミニ」の企画を手掛けました

それまでは電子計算機は非常に高額で、会社の事務機器としかみられていなかったところを、一般家庭に普及させるきっかけを作りました。

これこそ「イノベーション」だったと言って良いでしょう。

 

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樫尾和雄氏と「G-SHOCK」の歩み

 

出典:G-SHOCK

 

1980年ごろから、耐久性がある樹脂製の腕時計に他社に先駆けて着目し「G-SHOCK」の開発を始めます。

しかしこの時代の腕時計は、「薄い、軽い、小さい」というトレンドがありました。

世は対米貿易黒字、バブル突入と、お金余りでブランド時計が飛ぶように売れていましたので、このトレンドは何となくお分かりいただけると思います。

そのため営業では、商品企画の段階で「分厚く、重たい腕時計は時代に逆行して売れない」と考えていました

樫尾忠雄氏はそんな「G-SHOCK」を売るにあたり、米国など海外でも同時に販売する戦略にでました。

国内では売れないなら、海外営業からというわけです。

海外営業の結果、米国のある販社が乗ってくれて、なんと3万本を売ってくれることになりました。

そしていよいよ1983年4月に「DWー5000C」が発売

これが好調に売れ、1年かからずに3万本を完売したそうです。

ところが、同時に発売していた日本では全く売れませんでした。

当初の想定通りだったというわけですね。

イギリス、ドイツでも全く売れなかったそうです。

 

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なぜ米国だけ売れたかと言うと、米国は「タフさ」にステータスを感じてくれるためのようです。

カシオ計算機では指示をしていなかったようですが、アイスホッケーのパックに見立てて、ぶっ叩いても壊れないことをアピールするコマーシャルで一躍有名になりました

当時の「タフさ」とはどういうことかと思って、1983年の米国でヒットした映画を調べてみました。

興行収入1位が「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」、6位が「007 オクトパシー」、7位が「ダーティハリー4」と、やっぱりタフな男が売れている感じがむんむんしますよね。

ぶっ叩かれても容易に壊れ無さそうな男たちです。

これは当時としては偶然かもしれませんが、マーケティングの勝利というところでしょう。

 

しかし、、、その後も日本では「G-SHOCK」はほとんど売れない商品でした。

なかなかトレンドを作ることが出来なかったんですね。

「G-SHOCK」発売の5年後、1988年12月に樫尾忠雄氏が三代目の社長となりました。

米国での販売を伸ばしながら、コツコツと販売を続けます。

1990年代に米国西海岸のスケートボーダーの間で流行し、スケートボーダーの文化と一緒に日本に逆輸入され、ストリートファッション誌で取り上げられるようになったことがきっかけで、日本の若者の間でブームが起こりました。

それを契機に1995年ごろから爆発的に売れるようになり、とうとう日本全体で「G-SHOCK」ブームが起きました。

まさに12年間、「G-SHOCK」はじっと我慢して、やっと陽の目を見ることになり、カシオ計算機の主力商品になっていきました。

 

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2000年代以降はデジタル時計は頭打ちとなり、2004年からアナログ時計の高機能化にシフトしていきます。

5モータードライブや、電波受信による自動補正など独自のアナログムーブメント技術と、ソーラー発電、GPSなどの機能を盛り込んで「どこにいても正確に時を刻むアナログ時計」に仕上げていきました。

「G-SHOCK」「PRO TREK」「OCEANUS」といったブランドで高機能アナログ時計をヒットさせていきました。

樫尾和雄氏は1994年には藍綬褒章を受章、2015年6月まで社長を務め、会長職に退きました。

このようにまさに、「G-SHOCK」の歩みは、樫尾和雄氏の歩みそのものだったのですね。

 

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まとめ

 

出典:Wikipedia

 

「G-SHOCK」が日本でブームとなった1995年、なんと伝説のデジタルカメラ「QV-10」が発売されています。

それ以前にもコンパクトカメラは他社から発売されていましたが、液晶で確認できる機能や、パソコンにダウンロードできる機能を世界で初めて搭載したのが「QV-10」でした。

以降のコンパクトカメラには液晶画面が無いものはほとんど無いと言ってよいほどに普及しましたよね。

これもまたカシオ計算機のイノベーションの一つです。

樫尾和雄氏の決断による革命です。

「G-SHOCK」は若者がファッションとして使うイメージがありますが、実は根強いコレクターによって支えられています。

コレクターはひとりで何本も、下手をすると何十本も所有し、飾っています。

様々なバリエーションがあり飽きさせない、それも「G-SHOCK」の魅力でもあります。

 

まさに「G-SHOCK」の冬の時代から繁栄までを社長として決断し続けた樫尾和雄氏は、真に「G-SHOCK」を売った男だと思っています。

そして、革新こそメーカのなすべきことという信念はその後のエンジニアに引き継がれていることでしょう。

最後に、樫尾和雄氏の名言の中から、僕が好きな3つをご紹介して終わります。

 

  1. 商品開発こそメーカーの経営。
    商品が分からない人間にはカシオのトップは務まらない・ニーズに合わなければどんな技術を入れてもダメ。
  2. 画期的な技術を入れても売れないなら、それはニーズを読み間違えているんじゃないでしょうか。
  3. 改良ではダメ。
    革新と呼べるくらい画期的なイノベーション。
    この革新を重ねながら変えていくことで製品は長続きするようになる。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

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