不死鳥・桂歌丸死去。肺気腫など病気のデパートでも笑点、落語と生きた81年。笑いを忘れず蘇っては高座で演じたまさに笑いの鬼。円楽との師弟関係に泣ける。

不死鳥・桂歌丸死去。肺気腫など病気のデパートでも笑点、落語と生きた81年。笑いを忘れず蘇っては高座で演じたまさに笑いの鬼。円楽との師弟関係に泣ける。

落語家の桂歌丸さん死去

 

image:KOKOCARA

 

「笑点」の司会役として有名な落語芸術協会会長の桂歌丸さんが死去されました。

2018年7月2日11時43分。

81歳でした。

死因は慢性閉塞性肺疾患です。

長期に渡り鼻にチューブをさしている姿のまま高座にあがっておられたので、肺の病だったことはご存知のかたも多かったはずです。

 

 

歌丸さんといえば笑点

 

 

1966年の放送開始から、大喜利の回答者として出演し、前司会者の五代目三遊亭円楽さんの後を継いで司会者を務めた期間を入れれば、2016年までまさに50年。

人生の半分以上を笑点とともに生きてこられました。

降板するとき、歌丸さんを父と仰ぐ三遊亭円楽さんは「聞いた時は、ぼう然というのが本当でした」とコメントをされていました。

「歌さんと楽太郎(現・円楽)の軽妙な掛け合い」は僕にとっては、今でも笑点の5割です。

5割がこの掛け合い見たさでした。

 

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円楽さんが歌丸さんをディスるネタに、歌丸さんが憮然として切り返すのが楽しくて仕方なかった。

司会者になってからもそのノリは健在で、『昇天の時間がやって参りました。死骸の歌丸です』なんて言われて、ナニイッテンダコノヤロ!座布団持って行きなさい!っていういつもの掛け合い。

 

「ツルみたいな体形」
「生きたミイラ」

 

笑点の最後まで、そうやって歌丸さんをディスりました。

なんというか、幸せな時間でした。

 

この円楽さんの歌丸さんへの毒舌、実は歌丸さんからの助け舟から始まっていたとご存知でしょうか。

円楽さんが笑点に出演するようになったとき、しばらくうまく馴染めなかったそうです。

あの大喜利の独特のオモシロ感は、それぞれが自分の立ち位置を確立しているからこそ生まれるグルーヴ感なんだと思います。

円楽さんはそんな立ち位置に当初は戸惑っていたわけです。

誰だって、あのメンツの中にほいっと入っていったら、不安にもなります。

そんな円楽さんに歌丸さんは、「俺を使え」と手を差し伸べたそうです。

歌丸さんに突っかかってこい、そうしたらうまく切り返してやるから。

その時から円楽さんから歌丸さんへの毒舌ジョークが始まりました。

この逸話を知ってから、僕はあの掛け合いを思い出すたびにジーンと来ちゃいます。

 

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最期まで高座

 

image:朝日新聞デジタル

 

晩年は、新作よりも古典に軸足を置き、「真景累ケ淵」「牡丹灯籠」「おすわどん」「いが栗」といった怪談噺、滑稽噺の高座を多数演じられました。

僕も2年ほど前に、浅草で観覧させていただく機会がありました。

療養から復帰をされて最初という、貴重な高座を拝見しました。

鼻にチューブをさした状態で活舌は全盛期には劣るとはいえ、その飄々とした笑いは健在。

むしろ病気から復帰後の、死す時まで高座に上がってやるという凄みのようなものを感じました。

 

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桂歌丸師匠を人間国宝に

 

image:オフィスまめかな

 

六代目三遊亭円楽さんがインターネット署名サイト「Change.org」で「桂歌丸師匠を“人間国宝”にしましょう!!」と呼びかけるとともに、署名活動を展開していました。

もちろん僕も一票を投じさせていただきました。

キャンペーンは終了し、69213人の賛同者が集まりました。

公式ページはまだ残っています。

 

「桂歌丸を人間国宝にする会」公式
https://www.mamekana.co.jp/utamaru-kokuhou/index.html

 

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六代目三遊亭円楽さんにとって、歌丸さんは「第三の父親」。

一人目は実父、二人目は五代目三遊亭円楽、そして歌丸さん。

そのくらい尊敬し、信頼を置いていました。

「歌丸師匠は、既にミイラには成りつつあります。」

なんて愛のある言葉で国宝に推す円楽さんの粋を感じます。

これは毒ではありません。

愛情が感じられるので粋なんだと思います。

 

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歌丸さんは「病気のデパート」

 

 

歌丸さんは若いころから病気が絶えることが無く、病気のデパートと言われていました。

若いころからメニエール病。

40代からヘルニア、蓄膿症、胆のう摘出。

60代から急性汎発性腹膜炎、腰部脊柱管狭窄症で計3回腰の手術。

70代で肺気腫で計8回の手術、歯もだめになり入歯に、帯状疱疹、腸閉塞、背部褥瘡、肺炎。

 

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60代で患った急性汎発性腹膜炎もかなり苦しんだそうで、担ぎ込まれて集中治療室で唸っていました。

駆け付けたお嬢さんから

「お父さん、あたし、誰だか分かる?」

と聞いたら

「ブタ」

と答えたそうです。

「何がほしい?」

と聞いたら

「カネ」

と答えたそうです。

どんなに痛くても、辛くても、笑いを忘れていない人柄を思わせるエピソードです。

 

晩年は呼吸は苦しく、耳は聴こえづらく、自由に歩くことも困難になりました。

大好きな釣りもできなくなりました。

ここまでボロボロで、普通の人間はもう生きる気力すら失ってしまいそうです。

ところが、歌丸さんはますます落語に打ち込むようになったと言います。

そんな歌丸さんを周囲のひとは尊敬の念を込め「不死鳥」と呼びました。

 

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まとめ

 

image:AbemaTIMES

 

写真は2018年4月11日、東京国立演芸場で開幕した「4月中席」に出演した際のものです。

ここから3か月後に亡くなるとは思えない、生き生きとした表情ではないでしょうか。

もうあの独特の声、言い回しが聴けないのかと思うと寂しい気もします。

でも、最期の最期まで落語家であり続けた歌丸さん。

きっと天国で高座にあがり、神さまや仏さまを笑わせていることでしょう。

不死鳥ですからね。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

関連記事を紹介させていただきます。

 

44年前、樹木希林さんへ内田裕也が送ったラブレターに2人の関係の秘密が!?希林さんが愛した裕也の純なものとは。それぞれの愛のかたちがあった。

桂歌丸の法名は名は体を表す、真芸院釋歌丸。小間物屋政談が流れる告別式で明かす林家木久扇、中村吉右衛門、三遊亭円楽、桂文珍、泉ピン子の歌さんへ想い。

 

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