大仏さまの定義って何?
出典:翠雲堂
仏像とは、仏教の信仰対象である仏の姿をした像をさします。
大仏は仏像を大きく建立したものです。
一般的な仏像の解釈としては、お釈迦さまが立ち上がったときの高さが4.85m(一丈六尺)だったとのことで、立像時に4.85mを越える仏像を「大仏」と言うそうです。
座像の場合は座した足から頭までの高さの2倍で考えれば良いそうです。
お釈迦様は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖です。
日本では「ゴータマ・シッダルタ」という名前でも聴いたことがある方もおられるのではないでしょうか。
覚醒した人という意味で「ブッダ(仏陀)」とも呼ばれています。
実際には釈迦は普通の人間でしたし、こんなに大きな人はおりません。
諸説ありますが、釈迦の身体として化身する前の仏の本来の姿だったという説もあります。
個人の感覚ですが、昔のひとはいまよりももっと信心深く仏像をあがめていたため、ちっぽけな人間という存在よりも遥かに大きな存在として表現したほうが説得力が増したのかなとか思ったりします。
日本で大仏といえば?
出典:じゃらんnet
大仏さまといえば、鎌倉の大仏、奈良の大仏が圧倒的に知名度が高いのかな?と思います。
鎌倉の大仏は「長谷の大仏」ともいい、正式名称は「阿弥陀如来坐像」といいます。
13.35mあります。
奈良の大仏は「東大寺の大仏」ともいい、正式名称は「盧舎那仏坐像」といいます。
16mあります。
どちらもれっきとした大仏ですね。
阿弥陀如来、盧舎那仏について調べてみたところ、こんな意味があるようでした。
阿弥陀如来(鎌倉の大仏)
梵名はアミターバ、あるいはアミターユス といい、それを阿弥陀と音写する。
阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。
梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。
出典:Wikipedia
盧舎那仏(奈良の大仏)
毘盧遮那とはサンスクリット語のヴァイローチャナの音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。
「毘盧舎那仏」とも表記される。
略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。
史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。
宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。
毘盧遮那仏については、『華厳経』に詳しく説かれている。
出典:Wikipedia
信仰によっても解釈が変わってきますので、いずれも概要です。
興味があれば出典のリンクから調べてみてくださいね。
「はかりしれない光を持つ者」
「ゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏」
この言葉だけでも、十分に込められた意味、想いの強さが伝わってきます。
このように、大仏さまは人間を、人智を越えた存在として崇めていたのですね。
大仏さまが建立される際の目的や意味は諸説ありますが、ひとつに疫病の蔓延や災厄で人々がたくさん死んでいったときに、お釈迦様の実物に近い大きさの仏像をつくることで現世に顕れていただき、お祈りを捧げることで苦しみから救っていただきたいという已むに已まれぬ事情だったことがあります。
もちろん純粋に宗教として祈祷を捧げるために建立された場合もあると思いますが、阿弥陀如来は、人々が死んだ後の来生で救ってくれる仏様です。
まさに、死への恐れから人々を解放してくださっていたのではないのでしょうか。
ギネスブックに載る牛久大仏
出典:トリップアドバイザー
近年では巨大な大仏さまとして最初に思い浮かぶのは、やっぱり「牛久大仏」でしょう。
像高で100m、台座含め120mあり、ギネスブックにも乗っている世界最大の仏像です。
あまりの巨大さに、初見では腰を抜かすかと思いました。
TripAdvisorにも載っており、世界中から観光客がそのお姿を拝顔しにきています。
ふと、下々の人間である僕の脳裏にはこんなよこしまな考えが浮かびました。
実際、これだけの大きな大仏さまを作るにはどれだけのお金がかかったのだろう?
1993年建立でバブル真っ盛り…お布施もたいそういただけていたのかも…?
うわ~!いか~ん!この罰当たりめ!!!でも気になって夜も眠れない!
ということで調べてみたところ、こんな記事がみつかりました。
「申し訳ございませんが、大仏さまは造られたものではなく、顕(あらわ)れてくださったものなので、それはちょっと…」
というお答えでした。
そうです。
仏様はこの世に光をもたらすため人間界に顕れてくださっているのです。
でも想像してみてください。
ある日、何もなかった平地にこんな巨大な仏さまがど~んと立っていたとしたら!
恐れの方が先に来てしまいそうですよね(^^;
では、牛久大仏が何故そんなに大きいのでしょうか。
この牛久大仏は「阿弥陀如来」と言いまして、12の光明(光)を出していると言われています。その「12」という数字と慈悲の大きさにあやかって、120mの青銅製立像を立てたんです。
出典:LIG
立像で12mでも十分「大仏」ですが、慈悲の大きさにあやかり10倍に。
これって「大仏の定義って何?」の項で感じていた大きさの意味とまさに合致していて、妙に腹落ちしました。
そういえば、「阿弥陀如来」といえば鎌倉の大仏さまと同じ仏様ですね。
同じ仏様でも、その大きさに込める想いや宗派によって、様々であってよいのですね。
日本で最も大仏が集まる地、それは「東京」
日本の都道府県で最も大仏さまが沢山あるのが、実は東京都だって知っていましたか?
「仏像」が何体あるかは数えきれないくらいあるとしか言いようがなく、どの都道府県が一番多いかも確認ができません。
でも定義がはっきりしている「大仏」ははっきりしているんですね。
Wikipediaをみると、2018年建立の鹿野大仏まで載っているので最新情報と思われます。
そのリストによると、東京都は日本で最多の12体が掲載されています。
では、なぜ東京に「大仏」が多いのかな?
調べてみてもその疑問は解決できませんでしたが、推察だけはできました。
人口10万人あたりの寺院数を出してみた。沖縄が47位なのは上の図と一緒だが、明治維新以降急激に人口を増やした神奈川や東京、埼玉が、少ない県の上位にランクインする。
出典:Jタウンネット
こうしたデータを根拠として、
お寺の数に対して人口が圧倒的に多ければ、檀家さんが多くお布施で潤い、大きく強い寺院が生まれ求心力の象徴として大仏を建立していったのでは?
という仮説をたててみました。
江戸時代には、丈六、青銅、如来、坐像、露座という条件で民衆の発願により大仏さまの建立が許されていたそうです。
しかし、、東京にある大仏さまの多くは1600年(江戸時代)以降に建立されたものなので、その当時のお寺の数は江戸にどの程度あったかはわかっていません。
第二次世界大戦で東京大空襲をはじめとした最も苛烈を極める空襲を受けた東京で焼けてしまったお寺、ご本尊も沢山あったと考えると、お寺の数と人口で単純に考えるのは難しいかな。
でも、江戸時代には参勤交代で諸国大名が集まり、物流と商人が栄えて時期を追って人口が増え続けており、カネ回りが相当良かった。
それに江戸時代初期までは石上本願寺など強力な力を持った寺もあったので、仮説はあながち間違ってもいないのかな?(^^;
それでは、ここからは東京都にある大仏さまを紹介していきますね。
Wikipediaによると、「丈六仏」より大きい仏像を「大仏」といいますが、その定義より小さくても「大仏」と称するものもあるということで、12体となっていますが、今回僕の個人的なコダワリで、立像時に4.85mを越える9体をピックアップしてみました。
もちろん最新の鹿野大仏(多摩大仏)も紹介させていただいていますよ!
東京の「大仏さま」を紹介
神楽坂大仏
出典:Omairi
黄金に光り輝く薬師如来坐像です。
第二次世界大戦で寺は焼けてしまい、ご本尊も一部焼けてしまいましたが、残された部分をもとに復元されたのが今のお姿です。
お寺は江戸三十三観音の第十六番札所でもあり、十一面観音菩薩も安置されていています。
仏像がお好きな方が頻繁にお参りに訪れる場所でもありますね。
神楽坂という都心にあるので立ち寄りやすいので、御拝顔してみてはいかがでしょうか。
所在地 | 東京都新宿区、安養寺 |
住所 | 東京都新宿区神楽坂6-2 |
像の種類 | 薬師如来坐像 |
像高 | 3m(立像なら6m) |
建造年 | 1591年以前 |
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護国寺大仏
出典:護国寺ナビ
少し小ぶりですが立派な釈迦如来像です。
僕はとっても優しいこのお顔が大好きです。
いろいろなことを許してくださっているみたいで、癒されます。
人間のサイズにできるだけ近づけて顕れてくださり謙虚に耳を傾けてくださるお姿と思っています。
所在地 | 東京都文京区、護国寺 |
住所 | 東京都文京区大塚5-40-1 |
像の種類 | 釈迦如来坐像 |
像高 | 2.5m(立像なら5m) |
建造年 | 恐らく江戸以前 |
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吉祥寺大仏
出典:東京とりっぷ
曹洞宗の名刹、吉祥寺(きちじょうじ)の境内にある大仏さまです。
中央線の吉祥寺ではないのでご注意を!
手前に階段がありかなりおそばまで近づけます。
あの六義園も近いので、御拝顔してから六義園でゆったりというのもいかがでしょうか。
所在地 | 東京都文京区、吉祥寺 |
住所 | 東京都文京区本駒込3-19-17 |
像の種類 | 釈迦牟尼仏坐像 |
像高 | 6m(立像なら12m) |
建造年 | 1722年 |
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天王寺大仏(谷中大仏)
出典:フォートラベル
天王寺は日暮里駅に近く、谷中霊園に隣接しているのですぐわかります。
谷中大仏とも言われ親しまれています。
台東区の有形文化財になっています。
ちょっと小さく見えますが、金色の白亳(びゃくごう)がとても目立っていて素敵です。
※白亳(びゃくごう)とは額の丸いもの。毛なんだそうです。
所在地 | 東京都台東区、天王寺 |
住所 | 東京都台東区谷中7-14-8 |
像の種類 | 釈迦如来坐像 |
像高 | 2.96m(立像なら5.92m) |
建造年 | 1690年 |
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上野大仏
出典:トラベルジェイピー
僕はこの上野大仏さまのストーリーが大好きです。
現在はお顔のみが残されている状態です。
かつては地震で倒壊したり、関東大震災で頭部が落ちてしばらく胴体だけだったりと受難が続いた仏様です。
建立年は天保14年(1843年)で、現在のものは三代目です。
胴体だけの「大仏さま」は、第二次世界大戦時に金属回収令によって胴体は接収され溶かされてしまいました。
しかし、いつか修復を待って寛永寺で保管していた頭部だけが奇跡のように残り、今に至ります。
頭部が落ちていなければ、全て溶かされていたことでしょう。
このお顔だけの大仏さまはいま、合格祈願としてお参りされるようになりました。
かつて何度も頭部が落下しましたが、お顔だけになれば二度と落ちることはありませんからね。
なお以下は胴体があったころのお写真です。
出典:台東区生涯学習センター
所在地 | 東京都台東区、上野恩賜公園 |
住所 | 東京都台東区上野公園4-8 |
像の種類 | 釈迦如来 |
像高(m) | 6 |
建造年 | 1843年 |
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おおくら大仏
8mの立像なので、大きさを感じられると思います。
周囲は墓地になっていますが、少し離れたところからでも視認できるくらい大きいです。
1994年に建立されたのでかなり新しい大仏さまですね。
「ハイテク大仏」ともよばれており、自動的に回転し向きを変えます。
この大きさで回転するのでかなりの迫力です。
午前9時から午後5時までは南の本堂を向いています。
参拝者が近づくと参拝者に向きを変えます。
午後5時になるとゆっくりと180度回転して世田谷通りの方向を向きます。
この大仏さまもバブル産まれだと思いますが、人々を楽しい気持ちにしたり、驚かせたりできる大仏さまは数少ないため、素敵な仏さまだなと思っています。
マツコ・デラックスの「夜の街を徘徊する」という番組でマツコが観に行ってから拝顔者が増えているようです。
所在地 | 東京都世田谷区、妙法寺 |
住所 | 東京都世田谷区大蔵5-12-3 |
像の種類 | 釈迦如来立像 |
像高(m) | 8 |
建造年 | 1994年 |
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東京大仏(赤塚大仏)
出典:フォートラベル
12.5mと、かなりの大きさです。
この大きさになるとさすがに圧力を感じます。
乗蓮寺というお寺におられますが、新高島平や下赤塚から歩くと20分程度かかるので少し覚悟がいりますね。
それでも拝顔する価値は十分にあると思います。
鹿野大仏ができるまでは、東京都内では最大の大仏さまでした。
昭和52年に建立されましたが、その想いこそ大切なものです。
東京大空襲、関東大震災などの悲惨な戦災・震災が起きないように願いを込めて建立されたのです。
人々の強い願いをいっぱいに身体で受け止めるかのような凛々しいお姿だと思いませんか?
所在地 | 東京都板橋区、乗蓮寺 |
住所 | 東京都板橋区赤塚5-28-3 |
像の種類 | 阿弥陀如来坐像 |
像高(m) | 12.5 |
建造年 | 1977年 |
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吹上大仏
出典:itot
1995年に善生寺開創350年と釈迦生誕2560年を記念して建立された、新しい大仏さまです。
大仏さまの基壇は釈迦堂になっており、明治年間廃堂となった豊田薬師堂本尊であった薬師仏と十二神将が安置されています。
中央線の東豊田踏切を渡ると大仏さまが目に入るのでそこを目指していけばわかると思います。
背中には輪宝があり、中央に時計があるというちょっと面白い趣向が凝らしてあります。
出典:ClickTravel
所在地 | 東京都日野市、善生寺 |
住所 | 東京都日野市東豊田2-26-3 |
像の種類 | 釈迦牟尼仏坐像 |
像高(m) | 5 |
建造年 | 1995年 |
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鹿野大仏(多摩大仏)
出典:翠雲堂
最後は2018年に建立された、最新の大仏さまです。
「ろくやだいぶつ」と読みます。
別名は「多摩大仏」。
完成当時から “イケメン大仏” と話題にりました。
くっきりとした輪郭と、引き締まった頬。
唇の形も良く、確かにとても綺麗なお顔立ちをしていると思います。
そして大きい!東京都で最大の大仏さまです。
鎌倉の大仏より大きいときけば、その大きさがわかるかと思います。
なぜ今、東京に大仏を?と思いますが、いっぺんの穢れもなく美しい想いから誕生しました。
僕は以前からお話には聴いておりましたが、Wikiの方にとてもよくまとまった文章があったのでそのまま転載させていただきますね。
当寺の諸堂は、江戸時代から明治時代にかけての度重なる火災で焼失していたが、昭和後期の八坂昭道住職(32世住職)は、七堂伽藍を整備する大事業を成し遂げた後、当寺の属する西多摩を仏教の発信地にしようと考え、釈迦如来の大仏の造立を誓願した。
しかし、昭道は曹洞宗東京都宗務所長在任中の1995年(平成7年)に急逝し、その遺志は替わって33世住職となった長男・良秀に引き継がれることとなる。
その後、良秀が計画をただちに具体化することは無かったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災で仲の良かった友人(修行仲間)を亡くしたことをきっかけに、寺院経営の厳しいなか、檀信徒から勧募することもなく事業を進めようとした。
これに対して檀信徒のなかからは「造立に協力したい」という声も湧き上がったという。
出典:Wikipedia
近年は檀家も減り、寺院の経営もかなり厳しいと聴きます。
その中で大仏建立の意志を引き継いだところで、どのようにしたら、という逡巡があったにちがいありません。
それでも奮い立たせたものは、東日本大震災で失ったご友人への弔いを込めての強い決意だったのでしょう。
その想いに檀家さんが少しづつ賛同してくださり、建立されたのが、この鹿谷大仏なんですね。
亡くなられたご友人も、そして東日本大震災で失われた命もまた、鹿谷大仏のもとに少しでも成仏されれば良いと思っています。
所在地 | 東京都西多摩郡日の出町、宝光寺 |
住所 | 東京都西多摩郡日の出町平井3392 |
像の種類 | 釈迦如来坐像 |
像高(m) | 12(台座含めて18) |
建造年 | 2018年 |
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まとめ
幕末までは、仏と神は一体という神仏習合の時代でした。
明治維新以降に神仏分離が行われ、明確に神社と寺で祀るものがわけられたんです。
もともと日本は自然信仰で八百万の神を祀っていたので、仏教は新しい神として向かい入れられたわけです。
他国では一神教が圧倒的に多い中で、日本は仏さまを八百万の神と同格として向かい入れるという、なんとも柔軟な考え方だったともいえるのではないでしょうか。
神道は偶像を持ちませんが、仏教は仏像や大仏といった偶像を持つ点で異なっています。
数百年も前から、大仏さまはそうした偶像崇拝の中でも、とりわけ象徴的な存在だったのだろうと推察します。
今では容易に拝顔できる時代になりました。
大昔から沢山のひとの願いを聴き続けた大仏さまに、想いを新たに逢いに行ってみませんか?
日頃の煩悩を払う光明を見いだせるかもしれませんよ。
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