裏ミス藝大が中止に
東京芸術大学の学園祭「藝祭」で開催される予定だった、「裏ミス藝大」というコンテストが中止になったと報じられました。
そもそも、毎年恒例として「ミス藝大」が開催されてきましたが、2018年は「ミス藝大」とは別に、あえて「裏ミス藝大」というかたちで “本来のミスコン” をやろうという企画でした。
「ミス藝大」「裏ミス藝大」について詳しくはこちらを出典させていただきましたのでご覧ください。
「ミス藝大」は毎年開かれている名物企画で、通常の「ミスコン」のような女性の見た目などを評価するコンテストとは違い、男女問わず参加でき、モデル、美術、音楽でチームを組み「ミス藝大」という作品をつくることで「美」を追求するというのが狙い。作品は人ですらない場合もある。
(中略)
「裏ミス藝大」は、通常の女性の容姿やふるまいなどを評価する、いわゆる従来型の「ミスコン」を見たいという学生の要望に応え、今年企画されたものだったようだ。
出典::HUFFPOST
「ミス藝大」は “男女問わず” となっており、別に「ミス」と銘打たなければ良いのに、と思ってしまいました。
あえてこのコンテストに名前を付けるなら、「ザ・藝大」とかにしておけば良かったのにな。
紛らわしいネーミングにしておくから、アンチテーゼのように「裏ミス藝大」のような企画をやって欲しいという要望が出てきてしまったのでは?なんて邪推をしてしまいます。
HUFFPOSTは、「藝祭」の担当が送った中止に関する説明のメールを掲載していました。
そこに答えがあると思い読んでみました。
以下がそのメールです。
本企画の開催が中止となった経緯をご説明いたします。
本企画についてのメールを送らせていただいた後、様々な意見をいただきました。
賛成や出場を希望される意見も多数ございましたが、本企画に対し、懸念を示された方もいらっしゃいました。
本企画の参加資格が女子学生のみであること、また、外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまうこと、そして、様々な価値観を持つ学生が集まり、芸術を学ぶ藝大という場において、このような企画が催されることに対して、強い危機感を持っていらっしゃいました。
このような経緯を経て、意見をくださった方々とイベント課、企画課を交え、内的な意見交換会を行いました。
そして、交換会において、本企画の発案のきっかけとなった、「ミス藝大」企画に関する意見ポスターについての言及もありました。
意見ポスターには、今まで通り「ミス藝大」を続けてほしいとの意見もございましたが、反対に、「普通の」ミスコンが見たいという旨を、女性に対するハラスメント的な言葉遣いで書かれているものもございました。
上記のような意見が学生の声として正式に受け入れられるとは思わなかった、という声をいただき、意見を取り入れ、企画してしまったことを浅はかであったと痛感いたしました。
今回の件は、毎年開催されている「ミス藝大」企画について再考する機会でもありました。
男女問わず、様々な価値観で「美」を表現する「ミス藝大」は、藝大らしいミスコンだと言えます。
学生の皆様にも「ミス藝大」企画の意義について考えていただきたく、以上の内容を共有させていただきました。
出典::HUFFPOST
残念ながら、この文中に、何故「ミス藝大」という名前で開催をしているのかは説明されていませんでした。
どこかに「ミス」の答えは…と思って公式のツイッターをのぞいてみると、そこに答えらしき文章を見つけました。
「ミス」という言葉は一般的に美しい人を表す際に使用しますが、ミス藝大では「美しい」を広く捉え、皆さんそれぞれが思う「美しい」「可愛い」を表現して頂きたいと思っております。
…?
「ミス」という言葉は、一般的に美しい人を表しませんよね?
気になってきたぞ。
気になると調べずにはいられないのだ。
独身(未婚)の女性の姓に冠する英語での敬称
出典:Wikipedia
少女,娘,未婚女性
出典:Weblio
これ以上調べても不毛なのでやめておきます。
つまり、「ミス」という言葉そのものには美しい人という意味は微塵もありません。
このツイッターの説明でいうところの「ミス」は、恐らく「ミスコンテスト」の「ミス」に限定して言っているのだろう。
まあそうだとしても、「ミスコンテスト」は「美しい人」ではなく「美しい女性」を表すのが正しいので、やっぱりちょっと理解が難しい。
いわゆるゲイジツ的なセンスで編み出された言葉なのかな、と思いかけていた矢先のこと。
あ!今、閃きました。
これは「女性とは全てが美しいものである」という格言と、三段論法を用いると解決できました。
- ミス=(未婚)女性全般
- (未婚)女性全般=美しいひとである
- ミス=美しいひとである
どうですか、完璧な三段論法で解決していませんか?
「女性とは全てが美しいものである」なんて格言、誰が言ってたって?
僕も出典は知りませんが、昔付き合っていた女性がそう言っていたんです(笑)
この言葉の真意は、容姿に関わらず、その魂から美しいもの(美しくあろうとするもの)だということだと解釈しています。
きっとこの格言は、多くの女性に賛同いただけると思うので採用いたしました。
とにもかくにも、「ミス藝大」は、男女問わず美しい人、ものを表現して競うコンテストだということが解釈できました。
では、何故「裏ミス藝大」は中止になったのでしょうか?
「裏ミス藝大」が中止になった理由を考察
「藝祭」の担当が送った中止に関する説明のメールから読み解いてみましょう。
答えとなる文言はこれですね。
外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまう
通常の「ミスコン」では女性差別を助長してしまうという趣旨だと思います。
また大事な点として、本来の「ミス藝大」の本質とかけ離れたことを同時にやることの論理矛盾を仰っているんだろうと思います。
先ほどの三段論法で、「ミス藝大」は「女性を含む全ての美しいもの」という観点が含まれているとします。
そうすると、通常のミスコンが持っている「女性の容姿だけを競う」という観点とは相反するものです。
つまり「ミス藝大」というコンテストを開いている時点で、「裏ミス藝大」は企画としてあってはならないものだったということになります。
意見を取り入れ、企画してしまったことを浅はかであったと痛感いたしました。
という文言からも、その痛切な想いが伝わってきます。
女性の「美しさ」って何だろう
女性に対する「美しさ」というとき、大きくわけて2つの意味があるように思います。
世間一般、もしくは世界の美の潮流としての「美しさ」
その昔は女性は太って豊満な身体つきの方が美しいとされていました。
多くの西洋画では豊満な女性が頻繁に描かれているのはそのためです。
現代は痩せている女性の方が美しいと美の潮流が逆転してしまいました。
ミスコンと呼ばれるものは、こちらの「容姿の美しさ」を基準として争われることがほとんどといえますね。
誰かにとっての「美しさ」
太っていてもかわいいと思えたり。
痩せているひとが好きと思えたり。
あばたもえくぼと思えたり。
巨乳が好きだったり。
貧乳が好きだったり。
内面がプラスされている場合もあれば、単に趣味嗜好として好みだったり。
こちらは基準が存在しません。
だから「コンテスト」にはできないんですね。
コンテストというものの本質は「競争」です。
「競争」はスタートとゴールがあって、同じ距離や条件だからできるものです。
つまり「基準」となるものが必要なんですね。
その「基準」が「容姿の美しさ」なんだろうと思います。
「性格の良さ」「優しさ」も美徳ではありますが、見た目では分からないので競争できませんよね。
ここで「ミス藝大」の趣旨を思い出してみましょう。
「ミス藝大」は毎年開かれている名物企画で、通常の「ミスコン」のような女性の見た目などを評価するコンテストとは違い、男女問わず参加でき、モデル、美術、音楽でチームを組み「ミス藝大」という作品をつくることで「美」を追求するというのが狙い。作品は人ですらない場合もある。
この言葉からわかります。
このコンテストが「競争」の基準としているのは「美そのもの」なんですね。
世界の「ミスコン」も、中止になったり、判断基準を変えてきているようです。
「容姿の美しさ」から「性格」だったり「特技」だったりと、「容姿だけで判断をしない」という潮流になってきています。
まとめ
僕も美しい女性は好きです。
単純に「容姿が美しい女性」が好きです。
でもお付き合いした女性は、優しかったり、気が利く女性でした。
大変失礼かもしれませんが、ここは正直に言いましょう。
必ずしも「容姿が美しい」とは思いませんでした。
男女が恋をするとき、それは「自分にとっての美しさ」を見つけた瞬間なのかもしれませんね。
僕はもう、無理をして性格などの判断基準を作ってまで「ミスコン」をやらなくても良いと思います。
かえって結論があやふやになるような気がします。
男性は容姿が美しい女性をみると心が癒されるんです。
きっと僕だけの気持ちではないはず。
それは遺伝子に組み込まれたサガなのかもしれません。
やるならしっかり「容姿が美しい女性」で良いし、やらないなら完全にやらない方がいいと思います。
僕には「女性とは全てが美しいものである」という格言が染みこんでいます。
だから、差別はせずに、ミスコンで容姿が美しい女性に癒され、同時に心の清い一般の女性を好きになるでしょう。
でも残念なことに、誰しも多様性を受け入れることができるとは限らないのが現実です。
「君は美しい」「君は不細工」という差別が生まれてしまうんですよね。
「どんな見た目でもそれぞれの美しさがあるんだよ」というメッセージが各地で発信されている。それは「ボディポジティブ」ムーブメントと言われている。
出典::HUFFPOST
世界がこちらの価値観にシフトしていくのなら、もう「ミスコン」はやらないで良いと思います。
学校で、会社で、街中で、家庭で、自分なりの「美しさ」で癒されればそれでいいんです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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