桂歌丸の法名は名は体を表す、真芸院釋歌丸。小間物屋政談が流れる告別式で明かす林家木久扇、中村吉右衛門、三遊亭円楽、桂文珍、泉ピン子の歌さんへ想い。

桂歌丸の法名は名は体を表す、真芸院釋歌丸。小間物屋政談が流れる告別式で明かす林家木久扇、中村吉右衛門、三遊亭円楽、桂文珍、泉ピン子の歌さんへ想い。

歌丸さんの告別式

 

image:情報ライブミヤネ屋より(以下同)

 

2018年7月11日午後2時から、桂歌丸さんの告別式がありました。

祭壇は釣りが好きだった歌丸さんのために青と白の花で飾り、地元の横浜の海を表現しています。

お焼香では通常は読経を流すものですが、4月19日の最後の高座「小間物屋政談」が流れました。

主な噺家は歌丸師匠の他に、立川志の輔師匠などもおられます。

一度亡くなったと思われていたひとが実は生きていたというはなしです。

なんだか、このはなしが最後になったというのも、運命のようなものを感じてしまいます。

「死しても皆の心の中に生き続けている」

そんなメッセージを感じました。

 

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人間が表れる幅広い弔問客

 

 

弔問客は以下のような方々でした。

 

泉ピン子、尾上松也、桂文珍、三遊亭円楽、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、笑福亭鶴瓶、中村吉右衛門、林家木久扇、林家こん平、林家三平、林家たい平、林家ペー、山田隆夫

 

これをみていただくと分かる通り、噺家だけではなく、歌舞伎役者とも親交が深かったようです。

「歌舞伎の間が落語の間に通ずるものがある」と仰り観劇されていたとのことです。

勉強熱心な歌丸さんらしいエピソードですね。

 

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祭壇にて

 

林家木久扇さん

6月20日に歌丸師匠のところにお見舞いに行きまして
意識がまだハッキリしていて
私の顔を見たら「棚の紙を取ってくれ」と言うので渡すと
発声練習の紙でした

“パンダの食事はパンだ”

これを毎日発声練習やってると手ぶりで教えてくれた
また元気になってやる気なんだと思いました

 

このメモのエピソードは、最期まで笑いを忘れずにいたいという心持ちを感じられます。

なんだか木久扇さんが話すとおとぼけ感を感じられて、笑点の一場面をみているかのようでした。

 

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中村吉右衛門さん

師匠のご訃報を知りましたときは
(涙ぐみながら)
すいません…年を取ると涙腺が緩みまして
申し訳ございません
本当にショックでございました
師匠は落語を遺し
お客様を遺し
やるべきことをやり尽くして旅立たれました
言ってみれば “独り勝ち” みたいなものです
だから私は最後に師匠にこう申し上げたい
師匠
勝ち逃げはずるいよ

 

中村吉右衛門さんは公私ともに親しかったということです。

熱心に歌舞伎も観に行き勉強される姿に、吉右衛門さんも感銘を受けることが多かったのではないでしょうか。

 

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記者からのインタビューにて

 

三遊亭円楽さん

「楽さんこれやっといてくれ」
「楽さんあれ頼むね」

阿吽で罵詈雑言も含めて言わせていただいて
こんな大先輩で後輩を
“円楽づくり”をしていただいた恩義あるお師匠さんですから
歌丸師匠がいてくれたことが思い出
存在が思い出
一番長く時間を過ごさせていただいた噺家の中でも
全て毎日が思い出だった
桂歌丸という小さな体は大きく僕の心の中に入っている
そこだけは切り取れない

 

“円楽づくり” という言葉に、楽太郎から円楽に成るときにどれだけ支え、サポートをされていたかが伝わってきました。

とても一言では表せない、愛情や感謝の気持ちが溢れていますね。

 

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桂文珍さん

お客様あっての芸だってことですね
ここが一番師匠に教わったことだと思っております
芸っていうものに対して
真正面から向かっていくところが
かっこいいですよね
大変尊敬をするところでもあります
酸素を吸いながら
一生懸命語っていかれるというあたりは
素晴らしい生き様だったと思います
お疲れ様でした
ゆっくり休んでいただきたいというように思います

 

常に笑いを忘れず、どうはなしたら笑っていただけるか、満足していただけるかを考えておられたのだろうと思います。

酸素を吸いながら語っている姿が「痛々しい」と思わせず、「かっこいい」と思わせる生き様って凄い。

 

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泉ピン子さん

持ち直した
ダメだって言って
持ち直したり
その度にお兄さん大丈夫と…
だから亡くなったときに
「また、持ち直すんじゃない」って思いましたから
またウソついてって
本当に惜しい
何だか落語っぽい落語家さん
お洒落で粋な
亡くなっちゃったけどそれでいいじゃない
愛する横浜で地元の皆さんとお別れ会をして
本当に兄さんぽいなと思います

 

亡くなったと聞いても、「持ち直すんじゃない」というのは、まさに「小間物屋政談」のようです。

病気のデパートとも呼ばれた歌さんだからこそ、今度もウソであって欲しかった。

 

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まとめ

 

 

前日のお葬式では家族葬とし、50人ほどが参列したそうです。

お棺には、好きだった渓流釣りの竿などの愛用品が収められたそうです。

僕がとても良いなあと感じたのは法名でした。

 

真芸院釋歌丸
(しんげいいんしゃくかがん)
※しん、げいは旧字体

 

芸に真摯に取り組んだことと、横浜市真金町に住んでいたことから名づけられたものだそうです。

特に、真摯の「真」と、真金町の「真」を重ねているところに洒落っけ、粋を感じました。

歌さんという人物を表す、素晴らしい法名ではないでしょうか。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

関連記事を紹介させていただきます。

 

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