市原悦子さんが死去
image:モーニングショーより
2019年1月12日、女優の市原悦子さんが心不全のため死去されました。
82歳。
ご冥福をお祈りいたします。
2018年12月に盲腸と診断され治療を受けていったんは回復していましたが、1月5日に再び苦しみだし入院していました。
『家政婦は見た!』の印象が圧倒的という方は多かろうと思いますが、その経歴は実はとっても凄い方だったのです。
『まんが日本昔ばなし』で常田富士男さんと長年、ナレーションと役を演じられていたことも印象深いです。
では、次項で経歴を追ってみますのでご覧ください。
市原悦子さんの経歴
image:ザテレビジョン
1957年に20代そこそこの若さで俳優座の劇団員となります。
同期には初代ドラえもんの声優・大山のぶよさん、冨士真奈美さんといった名女優がいました。
1958年には『びわ法師』で新劇新人推賞を受賞するほどの素晴らしい演技をされていました。
その後も『三文オペラ』や『ハムレット』などの作品で演劇賞を次々と受賞していきます。
「戦後の新劇界が生んだ最高の女優」と賞賛されました。
テレビ女優となって以降しか知らないひとが多いだろうと思いますが、これが女優・市原悦子さんの若き日です。
1971年に俳優座を退団します。
50歳手前で女優として脂が乗り切っているころに、テレビや映画などに幅を広げていきました。
1975年に開始した『まんが日本昔ばなし』で常田富士男さんと共に、全ての登場人物とナレーションを担当するようになります。
この作品はまさにライフワークとして20年続けて行きました。
1983年からは『家政婦は見た!』で30年近く主役を務め、土曜ワイド劇場としても女優としても高視聴率を誇る最大の当たり役になり、市原悦子さんの名前を一躍お茶の間に広めることになりました。
市原悦子さんといえば『家政婦は見た!』と答えるひとは今でも多いはずですよね。
他の役者による『家政婦のミタ』『家政婦のミタゾノ』といったスピンオフ?作品も人気を博したのは記憶に新しいところです。
image:Hulu
1989年に出演した今村昌平監督の『黒い雨』で、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しました。
2017年から自己免疫性脊髄(せきずい)炎の治療のため女優を休業していました。
2018年の大河ドラマ『西郷どん』のナレーションで復帰することが予定されていましたが、体調が優れないため辞退をしていました。
晩年のお仕事
image:ザテレビジョン
『西郷どん』のナレーションは西田敏行さんがされていましたね。
西田さんといえば青年座出身ですが、青年座に入所されたのが1968年です。
市原悦子さんはそのころ俳優座で押しも押されぬ名女優の地位を築いていたころです。
役柄としての出演は決まっていたのかもしれませんが、まさに尊敬する病床の大先輩に代わってのナレーションのオファー、さしものトシさんも緊張されたのではないでしょうか。
最後の仕事は入院中の2018年12月25日に病室で行った『日本眠いい昔ばなし』の収録でした。
NHKの『おやすみ日本』という番組の中で『まんが日本昔ばなし』風の動画にナレーションをしていました。
こちらは2018年6月23日分がみられるストリーミングですので興味があればご覧ください。
この緩い雰囲気を作れる、稀有な方だったと改めて感じさせられます。
本当にぎりぎりまで、お仕事をこなされる生涯女優を貫かれた方でした。
常田富士男さんは昨年に
『まんが日本昔ばなし』で常田富士男さんと共に長年、味わいのあるナレーションをされていましたが、常田富士男さんは2018年7月18日に亡くなられています。
81歳でした。
市原悦子さんはその翌年2019年1月に82歳で亡くなられ、不謹慎かもしれませんが、まるで後を追うかのような最期のように思えました。
作品では常田富士男さんがおじいさん役、市原悦子さんがおばあさん役をされている印象がとっても強くて、現実世界での夫婦では無かったけれども、この夫婦には数十年の歳月から滲み出る味わいを感じられ、大好きでした。
市原悦子さんが、常田富士男さんが亡くなられた際に出されたコメントを思い出します。
「これを入れ歯になるまでやろうね」って2人で話していました
本当に味のある演技を2人で20年くらい続けられ、入れ歯になっていたのかは分かりませんが、それに近い年月を費やしてきたはずです。
常田富士男さんが天国で「ばあさんや!」と市原悦子さんを呼び止めて再開を喜んでいるかもしれませんね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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