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牧野アンナさんと轟夕起子さんを結ぶこれが芸能の最強遺伝子!宝塚とAKB48を結ぶ強く輝く太い糸。

牧野アンナさんと轟夕起子さんを結ぶこれが芸能の最強遺伝子!宝塚とAKB48を結ぶ強く輝く太い糸。

牧野アンナさんは日本の振付師です。

1971年12月4日生まれの47歳(2019年現在)。

AKB48の振付師として有名ですが、昭和から平成にかけてのアイドルに詳しい方ならご存知、スーパーモンキーズのリーダーをされていた方です。

でもそのもっと前にはアイドルをしていました。

多彩な彼女ですがその家系はまさに「超」がつくほどの芸能一家。

アイドル、スーパーモンキーズ、振付師と、次々とその顔を変えていった牧野アンナさんと、芸能一家の中において牧野アンナさんの遺伝子の原点といえる轟夕起子さんについて書いていきます。

 

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牧野アンナさんとは?


image:TBSラジオ

 

東京都で生まれ、沖縄で育ちました。

お父様はマキノ正幸氏。

なんとあの沖縄アクターズスクールの創設者です。

「マキノ」という苗字になんとなくピンとくる方もいるかもしれませんが、津川雅彦さんと長門裕之さんは親族ということです。

これだけでも凄い芸能一家ですよね!

 

沖縄アクターズスクールといえば最も有名な方は、引退された安室奈美恵さんですよね。

 


image:シネマトゥデイ

 

安室奈美恵さんが大ブレークを果たしたことで、沖縄アクターズスクールの存在は今も伝説のように語り継がれています。

牧野アンナさんは、今では日本のポップス界に君臨する有名ダンススクールのご令嬢ということになります。

 

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1983年、12歳の時に沖縄アクターズスクールに入り本格的にダンスの勉強を始めました。

1987年、16歳で渡辺プロダクション(ナベプロ)からアイドルデビューしています。

同期は何と森高千里さんや酒井法子さんなど、大スターが揃っていました。

 

以下はベスト盤です。

興味があれば【コンプリート・シングルス LOVE SONG探して】からのぞいてみてください。

 


image:Amazon

 

 

ところが…

アイドルとして数曲を発表するもヒットには恵まれず、アイドルを卒業してしまいました。

ちなみに以下は17歳当時のお写真とのこと。

ご自身でも仰っている通り、平野ノラ感満載(笑)

 

 

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アイドル卒業後に選んだ道は、マキノ正幸氏が創設した沖縄アクターズスクールのインストラクターでした。

インストラクターとして数年を過ごした彼女は1992年にスーパーモンキーズ(SUPER MONKEY’S)のリーダーとして再デビューしました。

沖縄アクターズスクールのスーパーモンキーズといえば、安室奈美恵さん、MAXもデビュー間もないころに在籍していたグループです。

kiroroの玉城千春さんも在籍していたようです。

この時まだ20歳という若さでしたが、10代で揃えたスーパーモンキーズの中では最年長でした。

そもそもスーパーモンキーズという名前の由来が “猿の段階だから” だったらしいので…猿たちを束ねる立ち位置だったのでしょう。

 

名前の由来はスクールの校長であるマキノ正幸の「君たちはまだタレントではなく猿の段階、でもただの猿(モンキー)じゃかわいそうだから”スーパー・モンキーズ”にしよう!」の一言がきっかけであると当時の雑誌インタビューなどで発言している。

出典:Wikipedia

 

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スーパーモンキーズが最も輝いていた時代といえば「安室奈美恵 with スーパーモンキーズ」ではないかと思いますが、その体制になる前に牧野アンナさんは脱退しました。

当時から安室奈美恵さんの実力が抜きんでていたため、他のメンバーはバックダンサーのようになっていたことが我慢ならなかったと言われています。

脱退後は再び沖縄アクターズスクールに戻り、チーフインストラクターとして働くようになりました。

アイドルを辞めてインストラクターになり、再デビューしてまた辞めて、チーフインストラクターに戻れる。

これはどうしてもお父様のおちからを感じざるをえませんよね。

後ろだてが何もないひとよりはかなり恵まれた環境だったと言えるかもしれません。

 

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そんな恵まれた環境のはずだった彼女ですが、2002年に沖縄アクターズスクールを退職し10月にダンススタジオ「LOVEJUNX」を開業します。


image:turbox.jp

 

ここはダウン症の子供たちにダンスを教える学校でした。

ダウン症の子どもたちと仕事で関わったことがきっかけということで、チーフインストラクターというポジションを捨てても開業を決めました。

31歳という年齢は、彼女にとって誰しもが経験する人生の岐路だったのかもしれません。

これまでの恵まれた血筋と環境に甘えず、自分のオリジナルなものを探していた時期なのかもしれませんね。

この時期に牧野アンナさん自身の人間性を大きく育てたはずだし、周囲の彼女に対する視線も変わっていったのではないでしょうか。

 

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こうした地道な活動を経て、2008年以降にいよいよAKB48グループの振り付けを始めました。

「LOVEJUNX」の活動も継続したままです。

さて、どこでAKB48と関わりが…?

と思いますが、お兄様の牧野彰宏氏はなんとAKB48グループのプロデューサーをされていました。

結局はコネばっかりなようにも思えますが、実力と経験があればこそです。

運さえも実力なのです。

ここからの成功はもはや言うまでもないかも知れませんね。

 

牧野アンナさんはAKB48を中心にかなり多数の振り付けを行っています。

ファンでは無くても知っているような曲なら、

 

『ポニーテールとシュシュ』

『ヘビーローテーション』

『フライングゲット』

『上からマリコ』

 

のようなメジャー楽曲もあります。

 


image:Amazon

 

いきいきとおどるAKB48メンバーの姿を、テレビで一度は見かけたことがあるのではないでしょうか。

その他、SKE48などにも振り付けを行っています。

 

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今でも元スーパーモンキーズのメンバーへの振り付けや交流はツイッターで投稿されていますね。

かつては安室奈美恵さんには勝てない悔しい日々を送ったことでしょう。

今は、とても充実した人生を歩まれ見ていると元気を分けてもらえるような気さえします!

 

 

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芸能一族において牧野アンナさんの遺伝子の原点とは誰か?


image:Wikipedia

 

牧野アンナさんの曾祖父は牧野省三氏です。

「日本最初の職業的映画監督」として有名な方です。

「日本映画の父」とも呼ばれています。

1878年(明治11年)に生まれ、昭和4年で亡くなっています。

 

その息子、マキノ雅弘氏もまた映画監督でした。

マキノ・プロダクションで261本もの映画を撮りました。

 


image:Wikipedia

 

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とりあえずすぐに分かるのは、揃ってイケメン、美男子だったということではないでしょうか…。

そのマキノ雅弘氏の妻、つまり牧野アンナさんの祖母は轟夕起子さんです。

宝塚少女歌劇団の娘役としても活躍された大女優です。

日本人らしさの中に現代的な美しさが光る大変人気のある女優でした。

美しいだけではなく演技力にも定評があったそうです。

 


image:NAVER まとめ

 

確かに…これは今でも通用する美人ですね!

 

1937年に宝塚少女歌劇団を退団し映画女優としてデビューを果たしています。

宝塚少女歌劇という女性なら誰もが憧れた舞台、その大スターの座をあっさり捨てて新たな世界にチャレンジした姿は、牧野アンナさんの芯の強さや美しさと重なるところがあります。

牧野アンナさんの遺伝子は轟夕起子さんから受け継がれているように感じられます。

 

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同年撮影された日活の彼女の主演映画『江戸の荒鷲』の監督がマキノ正博氏でした。

ここでマキノ正博氏と親しくなり、1940年に結婚しています。

とても人気があった美人女優がとんとん拍子で結婚までしてしまいました。

女性がまだ社会に出て働くということが現在と比べ難しかった時代です。

「女性は一歩引いて奥ゆかしく」が当たり前の時代に、女優として成功を収め、有名な映画監督と結婚するというシンデレラストーリーを自らの美と演技力で描いていきました。

 

ところが1950年(昭和25年)に離婚しています。

結婚生活は10年間で終わってしまいました。

戦後も脇役にシフトしていったものの多くの映画に出演しました。

男の紋章シリーズで高橋英樹氏の母親役を演じています。

 


image:Amazon

 

1953年に島耕二と再婚し、1965年に離婚。

島耕二とも10年強しか続かきませんでした。

いったい何があったかはここでは語りませんが、一つ言えることは、とても波乱万丈な人生を歩まれた方だったということです。

1967年(昭和42年)に49歳という若さで亡くなっています。

 

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まとめ

マキノ一族の連綿と引き継がれた芸能の遺伝子。

惜しくも亡くなられましたが津川雅彦さん、そして長門裕之さんにも引き継がれ、今は牧野アンナさんにも引き継がれています。

轟夕起子さんの美しさ、芯の強さを感じずにはいられません。

またこれからもマキノの遺伝子は繋がれていくのでしょうか。

苗字が変わると気付かないもの。

思わぬところで大活躍されているかもしれませんね。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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