- 1. 名古屋の「ごみ屋敷」に強制執行
- 2. 名古屋の「ごみ屋敷」の歴史
- 2.1. 2014年7月ごろ 歩道で寝起きを開始
- 2.2. 2015年5月下旬 家主「有名人」になる
- 2.3. 2015年5月27日午前0時ごろ 火災発生
- 2.4. 2015年5月29日 弁明通知書の期限
- 2.5. 2015年6月8日 公道だけ撤去
- 2.6. 2015年10月28日 ミヤネ屋が説得
- 2.7. 2016年2月末 片付けを諦める
- 2.8. 2017年8月8日 「ごみ屋敷」の対処する条例案起案
- 2.9. 2017年11月21日 正午ごろ 逮捕
- 2.10. 2017年11月 条例提出&明け渡しの訴え
- 2.11. 2018年1月 判決
- 2.12. 2018年4月 条例の施行
- 2.13. 2018年7月3日 強制撤去
- 3. 家主を「スター」という道化にしたもの
- 4. まとめ
名古屋の「ごみ屋敷」に強制執行
image:産経west
2018年7月3日、名古屋市中区松原2で10年以上も問題となっていた「ごみ屋敷」の行政代執行による撤去を行いました。
この「ごみ屋敷」の家主は相沢秀行さん。
敷地面積は33坪もあり、延べ床面積はざっと300平方メートル以上もある大きな3階建ての建物です。
そんな大きな建物が「ごみ」でいっぱいになっていたという恐ろしい状況でした。
もちろん近隣の住民からは悪臭と火災の危険から苦情が相次いでいました。
それでも、家主は「資源」と言い張り、これまでは自治体の条例もなく強制撤去はできませんでした。
全国で問題となっている「ごみ屋敷」の家主は、口を揃えるようにこの「資源」「売り物」という言葉を言いますね。
明らかに「ごみ」にみえても、常人では理解のできない感覚で「資源」「売り物」にみえているわけです。
例に漏れず、この家主も「資源」という説明を繰り返していました。
相沢さん曰く、若いときは父親の材木店で働いていましたが、27歳の時に父親が亡くなってから失業状態だったとのことです。
いわゆる稼業があるボンボンだったようですが、父親の亡き後に自身で稼業を継ぎはしなかったんですね。
母親が父親の遺産を不定期的に振り込んでくれるので、生活費はぎりぎり困っていなかったらしいです。
「ごみ」を溜め込むようになったのは、空き缶など生活の足しになるものを集め始めたことがきっかけ。
以前の取材で、「ガラクタアートのようなものを作れるかも?と思い集め始めた」と説明しています。
実際に創作物を買ってもらった経験があるようなので、そこで集めることを肯定されたのかもしれません。
そのうち家の中が「ごみ」で埋まるようになり、家の中に入れなくなりました。
やがて「ごみ」は公道にも広がっていき、とうとう路上で寝るようになりました。
そんな家主に目を付け、2015年にワイドショーが飛びついて報道をしてからというもの、連日野次馬が訪れるようになりました。
サービス精神が旺盛だったせいか仲良くなってしまい、会いにいった方を味方に付けてしまう人柄だったようです。
「おっちゃん(家主)はいい人。動画を撮らせてくれる。『(動画投稿サイトの)ユーチューブに上げてもいい』と同意も得ている」
こんなウォッチャーも現れました。
いつしかゴミ屋敷界の中でも知名度の高いスターと言われるようになっていたようです。
相沢さん曰く、
「ごみだ、ごみだと言うが、こっちは信念を持ってやっとるでね。中国と日本がこんだけ仲が悪くなって、戦争になったらどうすんの? 資源が必要になるだろう? そういう時にこの資源が役に立つんだよ!」
「私は本来、きれい好きなの」
という謎の名言を残されています。
それでは次より、この「ごみ屋敷」が世に広まってから、撤去をするまでに至る長い道のりを整理してみましたので、ご覧ください。
名古屋の「ごみ屋敷」の歴史
2014年7月ごろ 歩道で寝起きを開始
「ごみ」で家にはいれず外で寝ていたが、家の前の歩道にも広がり、歩道で寝起きするようになった。
2015年5月下旬 家主「有名人」になる
- ゴミで玄関がふさがれ4年家に入れず、自宅前の歩道付近で野宿生活する家主としてワイドショーの取材。
一躍「有名人」に。 - 週末には見物客が訪れる〝名所〟化。
- テレビ朝日の取材に怒ってカメラを取り上げ警察が出動する騒ぎ。
- 「高須クリニック」の高須克弥院長現場に視察しツイート。
フジテレビ取材班が家主を怒らせたと「スタッフ平謝りなう」
「自説を説くゴミ屋敷主人。なかなか筋が通っているようにきこえる」
フジテレビクルーと間違えており後に謝罪。
コメダ老人倶楽部名古屋ゴミ屋敷視察団出発なう pic.twitter.com/TUDyEu0TJB
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2015年5月13日
2015年5月27日午前0時ごろ 火災発生
段ボール数枚が焼ける火事が発生。
2015年5月29日 弁明通知書の期限
道路に物を置いていることに対する「弁明通知書」の回答期限。
未回答で終わる。
2015年6月8日 公道だけ撤去
公道にはみ出たものを強制撤去。
2015年10月28日 ミヤネ屋が説得
ミヤネ屋が説得し撤去開始するも結局片付かなかった。
2016年2月末 片付けを諦める
片づけ始めるも様々な理由から片付けを「諦める」。
「片付けは前からやってるがアルミ缶業者が取りに来ないから溜まる一方」
「テレビが撮影にくるから片付けられない」
2017年8月8日 「ごみ屋敷」の対処する条例案起案
名古屋市は「ごみ屋敷」問題に対処するための条例案を市議会11月議会に提出する方針を固める。
2017年11月21日 正午ごろ 逮捕
NPO法人の女性の服をつかみ引っ張った容疑で家主逮捕。
23日間の拘留のうえ不起訴処分で釈放になりました。
2018年1月の取材時にこのように弁明しています。
2017年11月 条例提出&明け渡しの訴え
- 名古屋市市議会で「ごみ屋敷」問題対処の条例案を提出。
2018年4月の施行を目指す。
※名古屋市内だけでごみ屋敷は20軒以上ある。 - 住宅の所有者である男性の親族の女性が建物を明け渡すよう求める訴えを名古屋地裁に起こした。
2018年1月 判決
明け渡しを命じる判決。
判決を受け取材ではこのように答えていました。
2018年4月 条例の施行
「住居の堆積物による不良な状態の解消に関する条例」の施行。
私有地でも「ごみ」を撤去できるようになる。
2018年7月3日 強制撤去
裁判所が明け渡しのための強制執行。
相沢さんはこの強制執行について
「納得していないけど、そうなるしかない」
と述べています。
ついに観念をしたようでした。
家主を「スター」という道化にしたもの
家主の相沢さんは、ある雑誌の取材にこのように答えています。
全部うちに来とるわ。
10じゃ足りない。
20社以上ある。
名古屋のテレビに、東京、大阪からもきた。
最近は僕も怒鳴っとるんですよ。
それがまたテレビに使われちゃって。
家主が怒鳴ると、その姿をテレビが映し、また別のテレビ局が取材と称してやってくる。
「ごみ屋敷」そのものから、テレビの興味が家主の相沢さんそのものへ移っていた象徴的な言葉だろうと思います。
相沢さんはこうして、本人の意思とは関係なく「道化」のようになっていったのかもしれません。
テレビ朝日の取材でもみ合いになり高須医院長が「平謝りなう」とツイートした一件については状況をこう伝えています。
どうしても玄関を撮らせてくれというから(ごみを)どけてあげたの。
30秒で済むと思ったら、いかにもごみごみ屋敷のようなだらしなくなっているところ撮ってたの。
裏切られたからキレた。
(怒った家主は隙をみてテレ朝のカメラを奪い取った)
「返していただきます」と手を後ろ手に拘束してきたから、1時間くらいもみ合いになっているうちにディレクターが警察を呼んだの。
高須はそのときに来て撮ったんじゃないの?
(野次馬からスマートフォンでYouTubeに投稿された番組の映像をみせてもらい)
変なところを編集でつないでるじゃん。
完全に虐めにあってるわ。
ツイッターなんてのも頭にきていかん。
ほっとかんといかんね。
恐らく、約束と違う場所を勝手に撮影し始めたテレビ朝日スタッフを咎めたにも関わらず撮影が続けられたのを怒ったのでしょう。
テレビ朝日スタッフが平謝りをしていたところを、高須医院長がみかけてツイート。
謝ったにも関わらずその後も撮影を継続したため、家主がカメラを取り上げたところ、スタッフが後ろ手に捕んでカメラを奪い返そうとしたのでしょう。
1時間も「返す」「返さない」のもみ合いになり、らちがあかないのでスタッフから警察に通報した、という流れではないかと思われます。
そうした強引な撮影の部分はカットして、ごみ屋敷と、家主がキレているシーンだけに編集して放送したのでしょう。
家主の話が真実だとして、この構図を以下のようにシンプルにしてみました。
実際
「撮影スタッフの強引なやり方に怒っている家主」
編集後
「大事なものをごみと言われて怒る家主」
こんな風に編集して、テレビが求めている「ごみ屋敷の家主」像を作り上げていったのではないでしょうか。
下手をしたら怒る顔の画を撮りたさに、わざと怒らせるような態度をしたのでは?とさえ思えてきます。
最近も某テレビ局でごみ屋敷にお笑い芸人を向かわせて、怒らせる画をとってくる映像がありましたが、あれなんかはまさに同じことではないでしょうか?
マスメディアは家主を、「ごみ屋敷のごみを資源と言い張り決してかたそうとしない偏屈な家主」という部分だけ切り取って、面白おかしくしたかったのだろうと思います。
その方が尖っていて、視聴率が稼げますから。
尖った部分を切り取ることで世間で話題になり、次々と他局も撮影に訪れるようになり、一躍有名な「ごみ屋敷のあの家主」になっていきました。
でも実際に野次馬が会いに行ってみるとフランクに話してくれる「普通の気のいいオジサン」。
彼の気のいい性格に甘えて番組作りに利用していた部分は無かったのでしょうか?
まとめ
ごみを溜め続けた家主を弁護するつもりはありません。
ご近所にしてみれば、火災の危険性や悪臭と常に隣り合わせですから。
でも、マスメディアも、野次馬も、いつの間にかこの人のいい家主を商売道具や玩具にしていたような気がします。
「世間が騒いだお陰で行政が動いて条例ができたんじゃないの?」
そういう声も聴こえてきそうですが、それは結果論に過ぎませんよね。
本来行政というのは、マスメディアや世間が騒ぐから動くのではありません。
「ごみ屋敷」の家主を説得できない場合は、対応ができる条例を作って対応することが彼らの仕事です。
住民から多くの苦情が来ていたのに対策が後手後手になり、その間にテレビの格好の餌食になり、祭り上げられただけです。
ウォッチャーと呼ばれるひとの中には動画を撮ってYouTubeにあげ、広告収入にしているひともいました。
家主はそんなユーチューバーにさえ、動画の撮影を許容するという優しい人柄だったはずです。
訪ねてくる野次馬との会話を楽しんでいる。
騒がれて、テレビで取り上げられて、まんざらでもない。
ネットをみると、そんなふうに家主を評しているひともいるようですが、相沢さんに聴いたのでしょうか。
テレビ局に「ごみ屋敷」と言われ偏屈な人物と流布されることを喜んでいると本人がそう言ったのでしょうか。
彼が喜んでいることがあるとしたら、ポイントはそこではないような気がしています。
ここからは僕の勝手な相沢さん評に過ぎませんが、書かせていただきますね。
それまで10年以上ひとりで暮らし、近所づきあいも無く、ごみ屋敷化する過程で疎まれ孤独を強めていきました。
でも本当は人と話すことが好きな人だった。
ある日を境に、それまで疎まれてきた「ごみ屋敷」を「ハブ」として沢山のひとが訪ねてくるようになった。
これまで否定され続けた、自分がいままで集めたものをただ溜め込んできただけの自宅を肯定されたような気がして、ますます守らなければいけない大切ものになっていった。
ひとと自分を繋いでくれるハブとしての「ごみ屋敷」。
彼の自宅は、彼にとって180度、意味が変わってしまった。
もし僕の相沢さん評が正しかったなら、強制撤去をされた後には、いったい何が残るのでしょうか。
もしかしたら、ハブを必要として、またごみを集め始めるのかもしれませんね。
単に「ごみ屋敷」を片付けることだけでよいのでしょうか?
お役所が「ごみ屋敷」を片せる条例を作ることは必要に応じてやるべきです。
しかしそれだけではだめです。
日本の片隅で孤独になってしまっている人の心をケアし、ひとと繋がるチャンスをつくることも必要なのではないでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
関連記事を紹介させていただきます。
横須賀市でごみ屋敷の行政代執行。主の名前、住所まで公開。単に精神疾患と片付けてよいのか?社会との接点の断絶という主の共通点から人を繋ぐ福祉政策に活かせ。
↓↓この記事がお役に立てたらボタンを押していただけると嬉しいです。
↓↓これからも有益な情報を掲載していくので通知登録お願いします!
コメントを書く