令和は漢文!?
image:ワイドスクランブルより
前もってお話しておくと、僕は政治的に “右” でも “左” でもありません。
どちらかといえば “観察者” に近い立ち位置です。
日本的なものが好きという意味では保守寄りですが、本質論であればどちらの意見にも耳を傾けたいと思っています。
この点だけ先にお断りしたうえで、この記事を書いていきたいと思います。
今回元号が「令和」に決まり、お祝いムードが漂っています。
その一方で、以下のような説が流れています。
安倍総理「国書から選定したい」
↓
万葉集から選定した!
↓
ふぁ!?
漢文をやめて国書?
万葉集の該当の箇所はそもそも漢文が原文では?
ネットやマスメディアでも、こうした説、疑問が提起されているみたいですね。
確かに国書「万葉集」のこの箇所は実は漢文のようです。
漢文からの引用をやめることが目的だとしたら矛盾しているのでは?
そう思われてもおかしくはありませんよね。
2019年4月2日の『モーニングショー』という番組で青木理氏が
本来の保守なら漢文から採用しているはずだ。
安倍総理は保守ではなくナショナリストだということが改元で良く分かった。
と語気を強めて発言していました。
これは青木氏が、安倍総理を「エセ保守だ」と貶める意図をもった言葉だということが分かります。
青木理氏は番組の中で「改元と安倍政権の思惑」にこだわっていました。
「元号は時の支配者が時をも支配するもの」という言葉を前置きにしていることからも、安倍総理が元号にナショナリズムを投入しているという主張を展開してます。
安倍総理は “保守層” が支持基盤です。
保守とはものすごく簡単にいうと「日本大好き!伝統を重んじよう!」ということです。
改革派とは対を成す層です。
どの国でも共通して言えることですが、保守層にはナショナリズムが入り込む余地があります。
ナショナリズムが悪いことかというと必ずしもそうではありませんが、極端化すれば民族排斥や戦争に利用される可能性があり、少なくとも青木氏のようなリベラリストからは敵視される傾向があります。
特に安倍総理は最もリベラル・左派が嫌う「憲法9条改憲」を掲げてきた経緯があり、そうした安倍総理を毛嫌いする青木氏は、改元に関しても安倍総理をナショナリスト、エセ保守のように否定したいわけです。
さてこの「漢文から引用している」という事実。
次項からその理由について、当の青木理氏の発言から大胆な説が判明したのでご紹介したいと思います。
青木理氏の言葉から辿り着いた漢文引用の理由
image:モーニングショーより
さてこの
「国書から」と言いながら実は漢文だった?
という説について当の青木理氏が『モーニングショー』の中で説明する過程で、漢文引用の理由に辿り着きつつ安倍総理の保守を肯定してしまうという珍事がありました。
その発言とはこんな感じでした。
伝統を少しずつ変えることが保守派の考え方。
今回はかなりドラスティックに変えた。
結果としては漢文だったよね…
なるほど。
変えているのに、変えていないということ。
これなら「梅は中国の花だろ!」というツッコミみ対してもまとめて説明がつきそうです。
どういうことかというと、こういう理屈です。
伝統を変えることに慎重なのが保守派。
国書から選定したいという思惑を通しつつ、実は漢文が原文の箇所から引用することで伝統を継承する体裁を守った。
青木理氏の発言を聴いていると、実はこの理屈に辿り着いていたことに気が付きます。
初めて国書から選ぶことは、中国を否定しつつ日本人のアイデンティティを刺激することができます。
確かにこれは安倍総理のナショナリズムの要素が多分にあるようにみえなくもないです。
これこそ安倍総理がやりたいことだった、とする青木理氏の説も一理あるとしましょう。
だからといって「漢文から選定する伝統」を急激に変えることは「ゆっくり変える」という保守の本分から外れてしまいます。
安倍総理の政治信条からもそれるし、保守の支持基盤から総スカンを食うのもまずい。
そこで原文が漢文の箇所から引用することで「ゆっくり変える」という本分にもとっているようにした、という理屈はまあまあ筋が通っているような気がしました。
「梅は中国の花だろ!」というツッコミみ対しても、中国を否定するためではないという意思の表明と受け取れます。
著名な学者さんが揃ってこの令和を導き出しているのに「うっかり漢文でした」なんていう方がちょっと理解しにくかったのですが、これなら何となくスッキリします。
この理屈に辿り着いたことで、
漢文から採用しない安倍総理は本来の保守をないがしろにするエセ保守だ。
という理屈を、青木理氏は自ら否定してしまった感があるのですが…。
まとめ
学ぶべきこともあります。
保守を自認するひとの悪い癖は、つい保守の権力に対して盲目的になる点です。
純粋なひとが多いからかもしれませんが、なかなか権力者を否定しにくくなる傾向があるように感じます。
盲目的な肯定をせずたまには否定から入ると、皮肉にもこういう理屈に辿り着くんだなとちょっと感心してしまいました。
肝心の青木理氏の様子をみていると、この理屈に辿り着いていることに気が付いているのかどうかは定かではありませんでしたが(笑)
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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