登山家 栗城史多が死去
登山家の栗城史多さんが死去されたニュースが駆け巡りました。
若干35歳。
以下はフェイスブックでの報告になります。
趣旨を伝えるため全文を転載させていただきます。
栗城事務所の小林と申します。
このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、
心よりお詫び申し上げます。何m地点で発見されたかなど
これ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、
またわかり次第お知らせ申し上げます。これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。
栗城事務所 小林幸子
出典:公式フェイスブック
4月17日から8度目のエベレスト登頂に挑戦していたところ、体調不良となり、下山途中で息絶えたとのことです。
まずはご冥福をお祈りいたします。
登山家 栗城史多の歴史
1982年6月9日に北海道産まれ。
札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。
20歳の2002年の年末、中山峠から小樽市の銭函まで、1週間の年越し縦走をしたところから彼の登山が始まりました。
2004年6月にマッキンリー(北米最高峰 6194m)登頂成し遂げました。
日本でも当時、大学生がとんでもないことを成し遂げた!と話題になったことを覚えています。
電波少年に出演したことでも彼の名を広めたと思います。
それからは次々と世界の頂きを上り詰めていきました。
アコンカグア、エルブルース、キリマンジャロなど。
5000mクラスを成功させていきました。
2007年にチョ・オユーという8200mに登頂成功。
とうとう、はじめて8000mの壁を破ったときでした。
2008年10月にマナスルに「無酸素」「単独」登頂しました。
ただしヒマラヤン・データベース、日本山岳会の双方から登頂を認定されていないため、記録は主張にとどまっています。
2009年5月のダウラギリに登頂する頃から、インターネットで生中継を行うようになりました。
以降、8000mクラスに登るようになりますが、挑戦する山々で敗退が続きました。
2009年、チョモランマで敗退。
2010年、アンナプルナ、エベレスト(二度目)で敗退。
2011年、シシャパンマ、エベレスト(三度目)で敗退。
2012年、シシャパンマ、エベレスト(四度目)で敗退。
この時に負った凍傷のため指9本を切断することになりました。
鼻も重度の凍傷を負っています。
以下はその当時の写真です。
少しショッキングですので、ご注意ください。
2012年に「ザ・ノンフィクション」で『山のバカヤロウ2 登山家 栗城史多』というタイトルでその活動が紹介されました。
2014年、ブロード・ピークに挑戦し登頂を成し遂げ「復活」と報道されたのを覚えています。
2015年、エベレスト(五度目)を敗退。
2016年、アンナプルナを敗退。
同年、エベレスト(六度目)を敗退。
2017年、エベレスト(七度目)を敗退。
2018年、エベレスト(八度目)で体調を壊し、下山途中で死亡しているところを発見されました。
栗城史多の功績
出典:日本セーリング連盟
若くして5000mクラスに登頂していったことは素晴らしいですが、なによりもインターネット配信で多くの人と一緒に登りたいという普通の登山家では思いつかないことを成し遂げていったことは、賞賛に値すると思います。
2010年にそうした功績から「ファウスト賞」を受賞しています。(写真はその時のもの)
「ファウスト賞」は冒険、挑戦の分野で偉業を成し遂げ、多大な功績を遺した人物に贈られるものです。
また、「冒険の共有を」テーマに一年の半分ほど全国で講演活動を行っていました。
彼の登山費用は、こうした講演や、テレビ出演(よしもと興行に所属)、多くの企業にスポンサーについてもらうことで実現していました。
エベレスト登山にかかる費用は、700万円以上と言われています。
ネパール政府に登山許可をもらうだけで110万円以上がかかる、とてつもないお金のかかる冒険なんです。
そのため、彼は自らスポンサー面談をして、グリコなどの大企業も彼のバックに付いていました。
この講演で前へ出る勇気をもらったひとは多かったのではないでしょうか。
以下は栗城史多の講演の一部です。
公式ページから出典させていただきます。
ここでも指を失っていることをご覧になれます。
httpss://youtu.be/fgeG1l19hz0
栗城史多の功罪
出典:YAMA HACK
唯一にして最大の功罪は、死んでしまったことだと、僕は断言したい。
彼はこう言っています。
父親や山の先輩から、登頂癖をつけろと言われ、チャレンジをしたら下山を許されなかったそうです。
必ず頂上へ連れていかれ、そのことで「諦めない」ことを自分の中に刷り込んでいったのでしょう。
登山家とは、一度や二度、敗退をしても諦めずに何度でもチャレンジをし続けるものだということは、そうした登山家の書籍を何冊か読んで僕も知ってはいます。
だから何度もチャレンジをすることは、決して間違ってはいません。
しかし、2007年にチョ・オユーの登頂に成功してから、8000mクラスに挑戦し、ことごとく失敗をしているんです。
エベレスト以外でも失敗をしているのに、エベレストに八度も挑戦をし続けました。
「挑戦」と「無謀」は違うと思っています。
エベレスト登山は、人間の限界を越えていて、宇宙に近づく行為とも言われています。
僕は彼の限界は、5000m~7000mくらいだったのではないかな、と思います。
指まで失い、7度挑戦して破れるということは、もう天候や運ということでは語れません。
エベレスト登山家としての能力に限界があったと思わざるを得ません。
まとめ
よく、登山家が山で死去すると、「山で死ねて本望だろう」などと言われることが多いです。
でも死んでしまったら、おしまいです。
特に彼はただの登山家ではなかったはずです。
インターネット配信を通して、「多くのひとと一緒に登る」というただの登山家にとどまらない “責任” も持っていたはずです。
ただでさえ9本の指を失って、無謀とも言われ続けていたのですから、そこまでエベレストにこだわらず、登山の配信と、講演活動など登山に関わる仕事で、世界中のひとに夢と希望を与え続けるという生き方もあったのではないでしょうか。
それを選ばなかったのか、選べなかったのか。
バックアップする事務所やスポンサーの期待になんとしても応えたいというプレッシャーがあったことも否めないでしょう。
マナスルに「無酸素」「単独」登頂が認定されず、それ以降に敗退し続ける彼を、「嘘つき」「無謀」というひとも沢山いて、悔しかったのもあったかもしれません。
しかし、命まで掛けて八度も挑戦をしたのは、彼自身が単に「諦めることができなかった」からだと断言できます。
登山をはじめたころに刷り込まれた「登頂癖」から、脳を切り替えることができなかったのではないでしょうか。
がむしゃらに生きてきても、人間はいったん立ち止まって、諦めることも必要です。
諦めても、また別の道がある。
ひとつだけにこだわり続けて可能性をみせるよりも、栗城史多には別の道もあるという可能性をみせて欲しかった。
最期に彼の公式ホームページに載せられているメッセージを全文掲載させていただきます。
否定という壁に向かっている人、見えない山を登る全ての人達の支えになり
そう言っている通り、壁を乗り越えるというメッセージを発信し続けていました。
否定という壁への挑戦
些細なきっかけから登山と出会い、一つ一つの山を登る中でいつしか海外登山に憧れはじめました。
大学3年の時に単独で念願の北米最高峰マッキンリー6194mに単独で向かおうとした時、周りからの声は応援ではなく、否定の声ばかりでした。
その時間は一人で山にいる時よりも最も孤独な時であり、目の前にまさに否定という壁がそびえ立ってました。
出発直前の空港で、父から電話で一言「信じてるよ」という言葉をかけてもらい、僕は一歩踏み出すことができ、そして今の自分がいます。
最近は講演で学校や企業に行くと、「失敗は悪。失敗が怖い。できない。だからやらない方がいい」という否定の壁をよく感じます。
否定という壁が多くなれば、挑戦だけではなく夢や目標を持たせない世界になってしまいます。
今まで山を登ってきて最も心に残っているのは、登頂した山よりも登ることができなかった山の方かもしれません。
それは決して苦い思い出としてではなく、自然の偉大さに触れ、謙虚さ、優しさを教えてくれました。
つまり、何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。
しかし、挑戦そのものを否定してしまえば、成功も失敗も何も得ることはできません。
その否定という壁を冒険の世界を通して少しでも無くし、応援し合う世界に少しでも近づきたい。
その想いから、2009年からは「冒険の共有」という秋季エベレスト生中継・配信に挑戦してきました。
冒険の共有は、ただ登る姿を見せる登山でも、流行りの配信でもありません。
挑戦における、失敗と挫折を共有します。
なぜなら本当の挑戦は、失敗と挫折の連続だからです。
それを共有することで自分と同じように今、否定という壁に向かっている人、見えない山を登る全ての人達の支えになり、自分の山登り(人生)を楽しめる人を増やしていく。
それが、僕が目指す頂の世界です。
冒険の世界では、自然における未踏や未開の地で己の限界に挑戦しますが、僕は人間社会も自然の一部と考えています。自分の限界に挑戦しながらも、人間と社会が持つ心の壁を登ります。
ヒマラヤのような青い空の世界を目指して。
栗城史多
以下は彼の著書になります。
もし興味を持っていただけた方は、まずはその言葉を読んでみてはいかがでしょうか。
賞賛も否定も、全ては知って、自分の中で落としこんで始めてできることですから。
↓↓この記事がお役に立てたらボタンを押していただけると嬉しいです。
↓↓これからも有益な情報を掲載していくので通知登録お願いします!
若干35歳ってどういう意味ですか?
ご指摘ありがとうございます。こちらは誤字でしたので修正させていただきました!