厚真町土砂崩れで亡くなった畑島武司・富子夫妻。開拓時代の面影旧畑島邸は人気のパン屋「此方」に。富山県への郷愁は「しあわせのパン」に転生し生き続ける。

厚真町土砂崩れで亡くなった畑島武司・富子夫妻。開拓時代の面影旧畑島邸は人気のパン屋「此方」に。富山県への郷愁は「しあわせのパン」に転生し生き続ける。

厚真町で亡くなった35人

 

image:ワイドスクランブルより

 

大規模な土砂崩れがあった厚真町で亡くなった35人の身元の確認がとれました。

遺族の同意などを得られたとして名前が公表されました。

 

厚真町吉野

滝本舞樺さん(16)
滝本卓也さん(39)
滝本芳子さん(95)
土田健二さん(63)
中田朗さん(60)
中田美江さん(71)
馬場治雄さん(86)
三上昭人さん(54)
三上とも子さん(79)
田中利子さん(68)
田中博さん(74)
中川久美子さん(58)
中田守さん(64)
中田靖子さん(62)
長谷川薫さん(47)
長谷川哲也さん(47)
早坂清さん(81)
早坂艶子さん(80)
中川信行さん(62)

厚真町幌里

中村ミヨさん(76)
三上秀幸さん(60)
林崎清五郎さん(87)
林崎タケさん(83)

厚真町朝日

畑島武司さん(86)
畑島さんの妻の畑島富子さん(81)
厚真町富里の中村初雄さん(67)
中村百合子さん(66)
中村君子さん(94)
佐藤正芳さん(65)

厚真町高丘

松下一彦さん(63)
松下陽輔さん(28)

厚真町桜丘

中田一生さん(76)
厚真町幌内の山本リツ子さん(77)
山本ひろみさん(50)
宮崎キヌエさん(92)

出典:NHK NEWS WEB

 

皆さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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古民家を寄附された畑島さん

 

亡くなった35人の中に、畑島武司さん、奥さまの富子さんの名前を見つけました。

お二人が亡くなったのは、朝日225番地というところでした。

畑島武司さんは厚真町にあった古民家「旧畑島邸」の元所有者です。

 

厚真町住まいサポート アツマイホーム」に「旧畑島邸」の紹介記事がありました。

明治33年(1899年)に現当主の畑島武司氏の先々代に当たる畑島吉次郎氏が、富山県砺波(となみ)から北海道へ入植しました。

翌年33年に厚真村字番外地(現在の朝日地区)に再入植しました。

旧畑島邸は、明治43年(1910年)先に入植していた福田林造氏から譲渡されたものです。

その後、朝日地区の厚真川付近に移築、昭和5年(1930年)に現在の居住地である字朝日225番地に再移築しました。

 

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以下が再移築された際の写真です。

この当時の姿がそのまま、現代まで残ることになりました。

 


image:中村よしあき建築研究所

 

以下は、古民家移築・再生のプロジェクトを手掛けた大坪秀幸さんの言葉です。

 

厚真町は明治20年頃から本格的な入植が始まりましたが、北陸地方から入ってきた方がかなり多かったようです。当時は口減らしのような格好で未開の北海道へ来たわけですから、最初から立派な住居が建てられたとは考えにくい。おそらく入植してすぐは掘っ立て小屋からスタートし、10年、20年、必死で田畑を耕しながら堪え忍んで、ようやくある程度生活が安定したところで、初めて自分の故郷を思い出しながら家を建てたのではないでしょうか。古民家一棟一棟には、そうした開拓農民それぞれの思いが宿っています」。

出典:あつまんま

 

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この旧畑島邸には、こうした富山県への郷愁が込められていたのではないでしょうか。

それから畑島家が50年以上、朝日225番地の旧畑島邸に住んでいました。

昭和59年(1984年)、畑島武司さんが住宅を新築し、旧畑島邸は住宅の役割を終えました。

以下が移築前、朝日225番地にあったころの旧畑島邸です。

北海道開拓時代の厚真の歴史を感じる趣が残されています。

 


image:アツマイホーム

 

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以下が朝日225番地、現在畑島家があったと思われる場所です。

同じ住所なので、敷地内に旧畑島邸があったのだろうと思います。

このお宅が昭和59年の新築された建物だったのでしょう。

(この背後の山が崩れ、圧し潰されてしまったのだと見られます)

 


image:Google Map

 

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平成25年(2013年)町へ寄附され、平成26年(2014年)度、ほぼ当時の姿のまま移築・再生工事を行いました。

直線距離3キロほど、海よりのこの場所です。

 

 

この寄附、再生を経て、旧畑島邸は永く残されることになりました。

 

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旧畑島邸は素敵なパン屋さんに

 


image:あつまんま

 

厚真町豊沢240番地80に移築・再生工事を施された旧畑島邸。

2015年にオープンした「此方(こち)」という自家製天然酵母を使ったパン屋さんとしてその姿を残しています。

ここは古民家再生事業の第一号です。

容姿はずいぶん変わったようですが、柱など当時のものを多く使っているようです。

 

「枠の内」です。

富山県砺波地方に多く見られる特徴的な梁(はり)組構造です。

今となってはとても貴重な歴史的遺産といえます。

 


image:アツマイホーム

 

広間です。

 


image:アツマイホーム

 

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座敷です。

 


image:アツマイホーム

 

縁側です。

 


image:アツマイホーム

 

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「此方(こち)」も被災

 


image:食べログ

 

旧畑島邸は「此方(こち)」というパン屋さんに再生されています。

こちらは札幌のパン職人としての第一人者・高田真衣さんが経営をされています。

上の写真は、食べログに掲載されていたものを転載させていただきました。

とても素敵にリフォームをされておられますね。

 

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高田真衣さんは『しあわせのパン』という映画で大泉洋さんのパン指導をされたことでも有名です。

 


image:Asmic Ace

 

 

パンもとっても美味しそうです。

 


image:食べログ

 

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「平成30年北海道胆振東部地震」で「此方(こち)」も被災してしまいました。

建物の崩壊は免れているようですが、恐らく食器などの破損が多いのでしょう。

再開の目途は立っておられないようです。

フェイスブックで現状を報告されていました。

 

 

被災されてしまったことはとても残念です。

再開し、お客さんが戻ってくるまでしばらく苦難が続くかもしれません。

遠くにおりますが、再開出来ることを陰ながら応援させていただきたいと思います。

(このような記事を書くことしかできませんが…)

 

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この旧畑島邸が「此方(こち)」として残ってくれたことは、とても意味のあることだと感じています。

もともとこの建物に長く住まわれていた畑島武司さん、富子さん夫妻は残念ながら、土砂崩れで亡くなられてしまったようです。

しかし旧畑島邸は移設され、「此方(こち)」として再生し、今も残り続けています。

祖先が北海道開拓時代から苦労を重ね、昭和初期にこの土地に移築し、畑島武司さん、富子さん夫妻が昭和59年(1984年)まで住まわれていました。

富山県への郷愁を抱き建築した大切な建物が今も山の麓にあれば、土砂崩れにより失われていたことでしょう。

損失をまぬがれ残ったのは、祖先の想いを残したいと思われた畑島武司さん・富子さん夫妻、厚真町を愛する皆さんの想いによるところが大きいはずです。

その想いはこれからもずっと残っていって欲しい。

移築された古民家が美味しいパン屋さんに生まれ変わり、被災し亡くなった皆さんの魂も繋いでいってくれたら。

 

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まとめ

 

厚真町で亡くなられた多くの方がご高齢の方々です。

この爪痕は長く残ってしまうことでしょう。

失われた生命をきれいな言葉で飾りたいとは思いません。

しかし、幸運にも残されたものもあることは、なにか意味があると思いたい。

「此方(こち)」で、”しあわせのパン” で多くのひとに笑顔を届け続けていただきたい。

北海道が元気になってきたら、「此方(こち)」に行ってみたいと思います。

 

此方 (コチ)

住所:北海道勇払郡厚真町字豊沢240-80 フォーラムビレッジ

営業時間:10:00~売切次第終了、日曜営業

定休日:火曜日・水曜日

予約・お問い合わせ:0145-29-7920

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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