稀勢の里が引退!その力士人生を振り返ると過剰な期待に晒され心技体のバランスが壊れていった16年だったのではないだろうか。

稀勢の里が引退!その力士人生を振り返ると過剰な期待に晒され心技体のバランスが壊れていった16年だったのではないだろうか。

稀勢の里が引退


image:スポニチアネックス

 

2019年1月16日、稀勢の里がついに引退を決断しましたね。

師匠の田子ノ浦親方が明らかにしました。

 

昨日(15日)の取り組み後、本人から引退させてくださいと申し出があった。

ご苦労さんと声を掛けた。

全力で相撲を取っていたが、思うように取れなかった。

横綱ですから、結果を出さないといけない

出典:産経新聞

 

 

進退をかけて臨んだ初場所で3連敗し、ここに至っても心技体がまったく伴っていないことが指摘されていました。

この3連敗は、2018年の秋場所千秋楽の不戦敗を除いても8連敗となっており、ワースト記録を更新してしまいました。

稀勢の里はその心中を語ることはなかったといいますのでその心中は察するしかありませんが、これまで観続けてきたものとして思うのは、過剰な期待に晒され心技体のバランスを壊してしまったのではないだろうか、ということです。

次項からは稀勢の里の力士人生と、そこにみえる過剰な期待の正体を書いていきます。

 

まずは心よりお伝えしたいですね。

本当にお疲れ様でした。

 

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稀勢の里の力士人生

 

初土俵を踏んでから引退決断まで、大きな話題についてざっとまとめてみました。

 

 

2002年 春場所で初土俵

 「タマちゃん」「W杯」が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞

2004年 夏場所で新十両へ昇進

2004年 九州場所で新入幕

 「チョー気持ちいい」が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞

2011年 九州場所後に大関へ昇進

 「なでしこジャパン」が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞

2017年 初場所で初優勝後に横綱へ昇進

2017年 春場所13日目に左胸など負傷しながらも強行出場し、照ノ富士を下して連覇するも夏場所から休場が続く

 「インスタ映え」「忖度」が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞

2018年 秋場所で皆勤し10勝

2018年 九州場所後は途中休場、横綱審議委員会から「激励」決議

2019年 初場所で3連敗し引退を決断

 

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稀勢の里はスピード出世で注目を集めました。

当時すでにモンゴル人力士などの外国人力士勢が上位を占めるようになってきており、日本人横綱が熱望されていました。

その熱望を一身に受けて、やっと初優勝を遂げ、日本人として実に19年ぶりの横綱昇進を果たしました。

しかし怪我に悩まされ、連続休場記録を最長の8場所まで伸ばしてしまう苦い日々を味わいました。

復帰しては休場を繰り返し、その度に世論は「もう引退か」と落胆を隠せませんでした。

2018年に横綱審議委員会が決議した「激励」はいかに異例の事態だったかを表していました。

それほどに日本人力士として期待をかけ、その期待にとにかく応えたいと、必死で食らいついた力士人生でした。

 

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期待に応えることの難しさ

 

日本人として19年ぶりの横綱ということで、稀勢の里に対する期待値は異常なまでに高かったことを覚えています。

マスメディアは連日のよに稀勢の里の取り組みに注目し、取材に押し掛けました。

これで「気負わず頑張ります」なんて言えるほど、神経が太い人間では無かったのでしょう。

特に休場後の取り組みはどっしりと横綱らしく構える心根が不足していたと感じました。

勝ちに焦り、相手の術中にはまるような局面を何度かみかけました。

稽古が人より不足していたのでしょうか?

直に稽古をみていたわけではないので、観客は結果で判断するしかありません。

稽古は万全にできていたとしても、メンタル面で焦りが先走れば体が流れやすくなるし、怪我もしやすくなります。

武道ではよく「心技体」というように表現されますが、どんなに技術や体格が優れていても、心がついていかなければ満足な取り組みはできないという状態をよく示していたように感じます。

 

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稀勢の里への過剰な期待とは?


image:趣通信

 

日本人が、日本人力士に過剰に期待をしてしまうのは、やむを得ないです。

多くの日本人は外国人力士も応援していますが、やっぱり日本人力士の活躍をみたい!と思っていますから。

しかしその期待とは裏腹に、日本人力士が減少し、角界を維持するために外国人力士を育てる流れが加速していきました。

そもそも力士を目指す日本人の子供が昔よりもずいぶん減りました。

そこで育成に努めた外国人力士が活躍するようになったことで、角界全体的に巨体を活かした相撲が「勝てる相撲」に変わっていきました。

世論は徐々に巨体で押し出しの相撲よりも、技術で勝てる相撲を待望するようになりました。

そこで既に祖国に技術を活かした「モンゴル相撲」がある、モンゴル人力士の育成に力が入るようになっていきました。

このモンゴル人力士は期待に応え、大変な活躍をしてくれるようになりました。

ところが世論はこの状況にもなかなか肯定的になれなくなっていきました。

 

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取り組みはあまり日本では見かけない技が頻繁に飛び出す「モンゴル相撲」を感じるものでした。

また何かと騒ぎを起こした朝青龍の問題に代表されるように「力士の品格」が足りないと指摘するようになっていきました。

こうした「モンゴル相撲」や「力士の品格」についてはマスメディアでも頻繁にとりだたされてきたことですよね。

朝青龍は2010年に引退しますが、その圧倒的な強さを引き継いだのが同じモンゴル人力士である白鵬でした。

朝青龍時代から白鵬時代へ、同じモンゴル人力士で角界の盟主の座が引き継がれ、「やっぱり日本人横綱をみたい」という熱望がピークに達していった時期でしょう。

その機運を一手に背負ったのが、2011年に大関に昇進した稀勢の里だったのですね。

 

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巨体ではなくても技術で勝てる、横綱らしいどっしりとした日本人力士を、稀勢の里に期待していきました。

その期待に応え、やっと初優勝を遂げてからの、2017年についに横綱に昇進。

4横綱に日本人がいることに、日本人の相撲ファンはどんなに喜びをもらえた時期だったことでしょう。

その期待の高さゆえに、怪我で休場する稀勢の里に対して酷いことをいうマスメディアや世論があったことは間違いありませんね。

「横綱なのだからだらしない相撲を取ったら非難されて当然」というのも一つの正論ですが、「モンゴル人横綱ではない稀勢の里はもっと勝たなければいけない」というある種の偏見からくる期待値が含まれていたことも直視すべきではないでしょうか。

認めたくはありませんが、そんれもまた日本人に関わらず、人間が持っている偏狭な一面なのです。

 

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まとめ


image:朝日新聞デジタル

 

日本人横綱への大きな期待の流れの中で翻弄されていたように思えますが、稀勢の里自身は弱音を公にみせることなく、よく努力してくれたと思います。

16年の力士人生でしたが、本当にお疲れ様でした。

まずはゆっくりと休んで、次の日本人力士の育成につとめて欲しいなぁと願っています。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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