亡くなった2人の幼子が守った「ルール」と「約束」
出典:毎日放送
大阪の大地震でブロック塀の下敷きになり亡くなった三宅璃奈ちゃん。
その原因となった建築基準法違反のブロック塀の杜撰な構造について次々と明るみになっています。
全国で総点検も始まっていますので、ここは粛々と進めて、きちんと報告と対処をして欲しいところですね。
現場はどのような状況だったかについてはこちらの記事で詳しく書いておりますのであわせてお読みください。
ブロック塀の倒壊で亡くなった女児。優しい三宅璃奈ちゃんを殺めたものは何か?高さ、控え壁、鉄骨全てで建築基準法違反のままにした原因は?
三宅璃奈ちゃんには「10の約束」、虐待で亡くなった船戸結愛ちゃんには「20のルール」がありました。
単なる偶然なんでしょうが、近い時期に亡くなった幼い生命には、同じように父親と結んだ「やることリスト」が存在していたんですね。
ナンセンスと言われてしまうかもしれない。
それでも、僕にはこの「ルール」と「約束」の意味の大きな違いと、この2つの天に召された魂が守ろうとした想いの共通点について考えずにいられませんでした。
船戸結愛ちゃんの20のルール
出典:ANN NEWS
2018年3月に虐待死してしまった5歳の船戸結愛ちゃんには、被告である父親から20項目の生活ルールが課せられていました。
ふろをあらう
いきがきれるまでうんどうする
(などの20項目)
結愛ちゃんはこのルールを必死に守ろうとしていました。
言いつけを守って朝4時に起きてひらがなの勉強も頑張りました。
いいつけを守ることで、父親に優しくして欲しい、母親に守って欲しいと願っていたことでしょう。
もう痛くしないで欲しい、許して欲しいと願っていました。
この「ルール」が5歳児に課すルールとしてはいかに過酷で無茶なものだったかがわかります。
何故これが無茶かについては、こちらの記事で書いていますのでご覧ください。
船戸結愛ちゃんに20項目の生活ルールが。5歳児の目安として決めるルールではなく虐待の理由だった。もっと愛してあげられなかったのだろうか。
僕はこの「ルール」は、結愛ちゃんを「虐待する理由」としてのルールだったと結論づけまさした。
三宅璃奈ちゃんの10の約束
事件現場となった寿栄小のプール脇の道路には、多くの献花がされ、その死を惜しんで手を合わせる姿が絶えません。
大阪の大地震でブロック塀の下敷きになり亡くなった阪府高槻市立寿栄小4年、三宅璃奈ちゃん。
明るく頑張り屋で、みんなに好かれていた璃奈ちゃん。
当日は児童会のあいさつ活動で校門に立つため、早めに家を出て事故に巻き込まれてしまいました。
璃奈ちゃんは、父親と「10の約束」をしていました。
明るく頑張り屋で、みんなに好かれていたという璃奈さん。参列した親族らによると、父親は璃奈さんが「何事にもチャレンジする」や「人の悪口を言わない」など10の約束をした思い出を振り返り、「100%実行してくれた。誇らしい自慢の娘でした」と話したという。
出典:JIJI.COM
何事にもチャレンジする
人の悪口を言わない
(などの10項目)
こうした約束を、璃奈ちゃんはしっかり守って健やかに育っていました。
「100%実行してくれた。誇らしい自慢の娘でした」
葬儀の席で父親はそのように、亡くなった娘を讃えました。
2人の「ルール」と「約束」の決定的な違い
船戸結愛ちゃんに課された「20のルール」は父親から、まさに強制的に課された “縛り付け虐待の理由とするためのルール” でした。
そこに結愛ちゃんの自己意思はありません。
結愛ちゃんが理解し、納得したうえで取り組んだものではありません。
まさに「課されたもの」なのです。
「20のルールは」、やりたくないことも、やれないことも、やれることも、父親から課されたもので、全部決められてしまったものです。
結愛ちゃんはそれでも「やります」と頷いたことでしょう。
そうしなければ叩かれるからです。
さも同意したかのように強制的に決められたルールは、結愛ちゃんの人生にとって、意味のあるものとは言えません。
対する、三宅璃奈ちゃんがした「10の約束」は父親と璃奈ちゃんが決め、璃奈ちゃんもその内容に納得して取り組んでいたものでしょう。
例えきっかけが父親からの提案であったとしても、璃奈ちゃんはそれを受諾し、実行していきました。
これは「課されたもの」ではなく、まさに「約束」だったのです。
「10の約束」は、父親からそれを守ることで、きっと璃奈ちゃんの人生に良いことだと説明されていたことでしょう。
璃奈ちゃんはそれを守ることが「自分にとってプラスになること」だからと小さいながらも理解をしていたことでしょう。
それは、父親に意味を説明してもらい、納得をしていたはずだからです。
このように2人の「20のルール」と「10の約束」には明らかな違いがあります。
「生活ルール」として強制をさせたもので、本人は従わざるを得なかったもの。
「約束」として自分のためになることだと理解して、本人が納得して従ったもの。
同じように父親から言われた約束だったのに、この違いはなんでしょうか。
愛されたくて「20のルール」に従わされた結愛ちゃん、愛されていることを理解して「10の約束」を結んだ璃奈ちゃん。
なんだか考えていると、切ない気持ちになってきませんか?
2つの天に召された魂が守ろうとした想いが共通点
生命に重みの違いなんてありません。
2つの清い魂に違いなどありません。
何よりも、2人が守ろうとした想いの根底には、「愛されたい」という子供の純粋な欲求があったはずです。
その想いこそが、共通点だと感じました。
結愛ちゃんは虐待をうけたくなくて、必死でした。
それでもただ逃げたいから、という理由でこんな言葉を書くでしょうか?
もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりも もっともっと あしたはできるようにするから
この言葉は、父親、母親から、「何度言ってもなんでできないんだ!」と言われ叩かれた彼女が「もっとできるようになれば許してもらえる、許してもらえたら優しくしてもらえるはずだ」という、優しさ、愛を求める言葉に違いありません。
ただ単に、助けを求めるための言葉では無いと感じられるんです。
璃奈ちゃんは父親と「何事もチャレンジする」「人の悪口を言わない」などの10の約束を結びました。
きっとチャレンジしたことを両親に笑顔で報告していたでしょう。
誰かが悪口を言っていても、自分はその輪に入らなかったことでしょう。
そのことももしかしたら、両親に伝えていたかもしれません。
父親は「100%実行してくれた。誇らしい自慢の娘でした」と語っていることから、その情景が浮かんできました。
璃奈ちゃんは、きちんと約束を守ることで、両親が「よくやったな」と褒めてくれることが嬉しかったはず。
その気持ちこそが、璃奈ちゃんが愛を求め、愛を受け取る、「愛情の交換」だったはずですね。
きっと子供はこの愛情の交換を続けるうちに、愛を知る大人に成長していくんです。
まとめ
三宅璃奈ちゃんの「10の約束」の存在を知って、皮肉にも船戸結愛ちゃんの「20のルール」の本質を知りました。
船戸結愛ちゃんも「愛情の交換」をしたかったのに、できなかったんですよね。
これが15歳くらいになると、課されるだけのルールに反抗心が芽生えてしまうひとが多いですね。
それは、課されるだけで自分の心に落ちていないルールに価値を見出せないためです。
でも5歳の女の子には、きっと課されているだけのルールが自分にとってどういう価値があるかなんて考えもしなかったはず。
ただ許しを請い、愛されたかった、その活路が「20のルール」だったのかもしれません。
どちらの魂も同じように清いものです。
亡くなってよいものではありませんでした。
もう一つこの事件に共通していることは、自分の意思とは関係なく殺められてしまったということです。
殺めてしまった原因をきちんと明確にして欲しい。
そしてマスメディアは、ただ視聴率や発行部数を伸ばすために「事件性をほじくる」「悲しみをあおる」だけではなく、今後同じ悲劇が起こらないように社会問題に大して喚起や提案をしていって欲しいと切に願います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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