辞任した山根明氏について改めて考えてみる
image:モーニングショーより
2018年8月8日、日本ボクシング連盟の元会長、山根明氏が辞任しました。
山根明氏が辞任する最後のトドメになったのが、暴力団組長との親密な過去を自ら暴露したことでした。
今の感覚、ルールでは明らかにアウトです。
会長になってからもしばらく付き合いを続けていたことも判明しており、間違いなく辞任の理由になります。
しかし過去に「暴力団との付き合いがあった」ということについては、全てを否定することができるのかどうか。
その点について考えてみます。
山根明氏の生い立ち
image:モーニングショーより
山根明氏は、「情報ライブミヤネ屋」での生激白で、自身の生い立ちについても語っていました。
ただの疑惑の宝庫としてではなく、これまで一切マスメディアに語られてこなかったその生い立ちについても初めて明かしてくれていました。
- 父親が元ボクサー
- 父親のジムで3、4歳から父親から教え込まれた
- 家出をした時代があった
- ブラブラしている間に6人ほどで絡まれて喧嘩
- 仲裁をしてくれたのが元組長
- 元組長とは19歳からの知り合い
- 25歳、26歳ごろ元組長が暴力団に紹介してくれた
- 途中結婚などの期間に10年くらい会っていなかったのでそれを抜いて50年位の付き合い
- 3年前に揉めて脅してきて喧嘩になった
この後恐らく30歳前後に奈良県ボクシング連盟に所属することになりますが、その詳しい経緯については、あまり詳細を語っていません。
当時はまだ元組長と親密だったため、口利きをしてあげたのかもしれませんが、そのことには一切触れないことから分かりません。
元組長から「辞任しないともっと酷いことを暴露する」と脅されていたようなので、元組長に関することには今後も口を閉ざすのではないでしょうか。
裏を返せば、あれだけ饒舌に話してきた自身のことでも、突然話したがらない態度を示す場合は、「元組長絡み」の可能性があると考えても良いのかもしれません。
山根会長の時代背景
image:情報ライブミヤネ屋より
昭和51年(1976年)に、奈良県アマチュアボクシング連盟に関与したと言います。
1980年代、そのころの日本といえば、暴力団のメンバーが普通に闊歩し、風紀の悪い裏道などでは喧嘩が絶えなかったような時代背景があります。
組の間での闘争も激しく、銃弾を撃ち込まれるような事件がよくニュースに流れていました。
彼らは「ショバ代」という、お店を守ってやっているという体裁でお金を巻き上げ、組に上納することで日々のしのぎをして暮らしているような人たちでした。
※もちろん法律で締め付けている現在はこうした行為は禁止されています。
『仁義なき戦い』をはじめとする、ヤクザの抗争を描いた映画が次々と製作され、ヒットしていきました。
こうした生き方を男のロマンのようにみる風潮があったことは間違いありません。
そういえば山根明氏は、携帯電話の着信音を『ゴッドファーザー』にしていましたが、それも男のロマンと感じていたからではないでしょうか。
1973年(昭和48年)1月13日に東映配給網により正月映画第2弾として公開されたヤクザ映画。監督深作欣二。シリーズを通しての主演は菅原文太。製作は東映京都撮影所(以下、京撮)。公開時の併映は『女番長 スケバン』。シネマスコープ。99分。やくざ同士の抗争を題材にしながら仲間を裏切り、裏切られることでしか生きられない若者たちが描かれている。
出典:Wikipedia
さてボクシングはというと、戦後の日本を活気づけたという点でプロレスと同じような生い立ちだったにも関わらず、いまだプロレスより裏社会との繋がりが強かったとききます。
それはより激しい「拳闘」という、スポーツというよりは血を流す格闘技だったことから、ヤクザ、暴力団にとっても関心事だったし、入り込みやすい業界だったのかもしれません。
地方の興行といえばヤクザ、暴力団が取り仕切り、会場には最前列にイカツイ顔をした明らかにその系統のお兄さんが座っているという時代です。
そんな時代背景であれば、山根会長が暴力団組長と親密で、興行をスムーズに運ぶ手助けをしてもらっていたとしても何ら不思議ではないのでしょう。
周囲の誰も、そのことを不思議とも思わなかったはずです。
山根会長いわく、当時の奈良県のボクシングは「不毛の地」で、指導者も選手もいなかったそうです。
資金は全て山根明氏の持ち出しで、家庭を顧みず犠牲にしてきたと語っています。
(関係者資料「アマチュアボクシングと私」を参考)
そんな金もない、人もいない状況で、ボクシング人口を増やし、大きな組織にして盛り上げていったことは、山根会長だけではなく、元組長が関与したことも一因だったことが容易に想像できます。
元組長は、山根会長のために広告を斡旋してあげたこともあると語っていました。
周囲の関係者にとっては、「山根さんがいてくれるお陰で興行がスムーズにできるし、宣伝もどんどんやってもらえて助かってる」という評価だったのではないでしょうか。
問題の本質とは?
image:プロボクシング協会
現代のルールにあてはめて、山根会長がやってきたことは違反であることは間違いありません。
「奈良判定」「山根マジック」と呼ばれる、贔屓の選手を勝たせる行為は、暴力団が興行をしているときには当たり前のように横行していて、その昔なら「仕方ない、そんなもんだ」と暗黙で許されたとしても、ボクシングがクリーンなスポーツとなった今では、全くマッチしなくなりました。
僕はこう思います。
山根明氏の最大の過ちは、時代に合わせて自分の姿を変化させることが出来なかったことではないでしょうか?
過剰なおもてなしを受け入れていたことも、その昔なら周囲も当たり前と思っていたために、山根明氏も悪いこととは思っていなかったのでしょう。
それは山根明氏が生出演激白でみせた、「何も悪いことしてないから!」という絶叫によく集約されていると思います。
しかし時代は変わり、パワハラという言葉が生まれました。
暴力団もボクシングに関わるどころか、日々のしのぎさえ規制され活動を狭めていきました。
人気の低迷とともに、スポーツとしてクリーンさをアピールし、ボクシング人口を増やす必要がありました。
オリンピックに出場するには組織がクリーンかどうかも審査されるようになりました。
こんな時代の移り変わりに、山根明氏とその取り巻きの幹部たちだけが自身を合わせることができず、結果、333人に告発されてしまった。
これが、今回の問題の本質だったのではないでしょうか。
まとめ
日本の会社組織にも言えるのかもしれません。
しっかり定時で帰り、自分の時間を大事にしたい若者が増えています。
これは時代の変化と言えます。
しかし日本の会社はそれを許さず、いまだ残業を当たり前として課しています。
それどころか残業代込みの給与体系や、サービス残業が当たり前に横行しています。
残業しなければいけないのは、会社が生産性を上げる努力をしこなかったツケなのかもしれないのに、それを若者に押し付けている。
結果、若者は疲れ果てて会社を辞めてしまう。
それでいて「人手不足」と頭を抱えてみせる。
欧米は集中して仕事をして定時で帰宅し、自分のやりたいことをしたり、家族サービスをすることが当たり前になってきているとききます。
過剰な人権意識もあるので欧米に合わせることが何でも良いとは思いませんが、少なくともこの労働の仕方については、日本は組織側が意識を変えていくころです。
そうしなければ、山根明氏の犯した過ちの結果のように、社員や世間からNoを突き付けられてしまうことでしょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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