さくらももこ先生死去の悲報にTARAKOも絶句。乳がん闘病を終え天国へ。ちびまる子ちゃんのお姉ちゃん役の水谷優子も乳がんが死因。定期健診を受けて欲しい。

さくらももこ先生死去の悲報にTARAKOも絶句。乳がん闘病を終え天国へ。ちびまる子ちゃんのお姉ちゃん役の水谷優子も乳がんが死因。定期健診を受けて欲しい。

さくらももこさん死去

 

image:モーニングショーより

 

さくらももこさん(53歳)が死去していたことが分かりました。

2018ねん8月15日のことです。

53歳…若すぎます。

死因は乳がんとのことです。

前おねえちゃん役の水谷優子さんも、乳がんで亡くなっています。

周囲の親しい人にも、あまり自身の病気については話していなかったそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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サザエさんに並ぶ日曜日の顔

 

image:モーニングショーより

 

テレビ放送が始まってからというもの、サザエさんに次ぐ日曜日の顔と言って過言では無い存在になっていました。

これは第一話のまるちゃん。

なんだか今のまるちゃんより、シンプルでしたね。

 

image:モーニングショーより

 

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一時放送が途切れて別のアニメに変わる時期もありましたが、再び放送が再開するあたりに、その人気が伺えます。

ちびまる子ちゃんの時代はまさ昭和ど真ん中で、駄菓子屋に子どもたちが集い、キラキラした「ちょっと前のアイドル」が全盛期のころ。

そんな世界観で繰り広げられる、くすっと笑えて、ほんわかした気持ちにさせてもらえる物語です。

今も、翌日から仕事という人のちょっとけば立った心に、少しの安らぎを与え続けています。

 

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原作は30年続く

 

image:モーニングショーより

 

不定期連載も含めれば、30年以上も書き続けられたちびまる子ちゃん。

1986年から続いていたんですね。

書き始めたころは、さくらももこさんはまだ20代前半。

1984年の漫画家デビューをしています。

途中、『コジコジ』など別の作品も書いていましたが、一貫して書いていたのは『ちびまる子ちゃん』だったので、まさにライフワークだったことが分かります。

女の子の友人がりぼんを読んでいて、ちびまる子ちゃんが大好きだと言っていたのを思い出します。

 

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自らの少女時代をモチーフしていたため、子どもたちのみならず、親世代にとっても共感できると大人気になりました。

作品の舞台は静岡県旧清水市(現清水区)です。

三世代家族を描いているという点で、サザエさんと共通しているんですね。

 

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サッカー少年健太のモデル

 

image:モーニングショーより

 

さくらももこさんの小学校時代の同級生で、Jリーガーとして活躍し、2018年現在はFC東京の監督を務める長谷川健太さんだというのは、ファンの間では周知の事実です。

長谷川監督はこのようにコメントを発表しています。

 

image:モーニングショーより

突然の訃報に驚いています

心よりご冥福をお祈り申し上げます

 

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声優・TARAKOさんもショック

 


image:就職ジャーナル – リクナビ

 

ちびまる子ちゃんを語るときに欠かせないのが、TARAKOさんの存在です。

ちびまる子ちゃんと言えばこの声です。

TARAKOさんの声優人生は、他にも多数出演されていますが、ここまで長い間続けた役柄は無いでしょう。

役になり切ったTARAKOさんこそ、ちびまる子ちゃんに最も近づいた方なのかもしれませんね。

以下のようにコメントを発表されていました。

 

「ご冥福を」とか言えないです

ただただ

頭の中がぐちゃぐちゃです

はい

病気だったこととか

本当になにも知らなくて

ごめんなさいしかえないです

ごめんなさい

早すぎます

まだまだやりたいこと

いっぱい いっぱいあったと思います

私の中のももこ先生は

ずっと小さくて

可愛くてまあるい笑顔のままです

今はただ

先生の分身でもある小学三年生の子に

嘘のない命を吹き込み続けることしかできないです

桃子先生は

「ありがとう」しかない恩人です

 

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『おどるポンポコリン』の作詞

 

image:モーニングショーより

 

大ヒット曲『おどるポンポコリン』の作詞をしたことでも有名です。

奇想天外な歌詞がとても新鮮だったのを覚えています。

 

また、エンディングに流れた『走れ正直者』も作詞されています。

 

 

『走れ正直者』といえば西城秀樹さん。

作中でもヒデキといえば、まるちゃんが大好きなアイドルでした。

まさか本物のヒデキが歌ってくれるなんて。

さくらももこさんもとても喜んだということです。

 

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2018年5月、西城秀樹さんも亡くなっています。

その時にはさくらももこさんはコメントを出しています。

 

秀樹さんが亡くなってしまいました

私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした

 

このコメントをブログで出したとき、既に病床にあったのかもしれません。

 

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さくらももこプロダクションから

 

image:モーニングショーより

 

さくらももこさんの事務所から、以下のようなコメントが発表されていました。

デビュー30周年でのコメントもまた、闘病の中で出されたものだったと思うと、全く違った想いを感じずにはおられませんね。

 

さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)

これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。

さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。

「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)

作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。

これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。

なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。

さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日

 

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まとめ

 

image:モーニングショーより

 

2007年7月から2011年12月まで、東京新聞の朝刊に4コマ漫画『ちびまる子ちゃん』を連載していました。

乳がんはその期間中に患ったと、関係者は述べているようです。

少なくとも7年以上もの間、闘病を続けていたことになります。

公式ブログはこれまで月に1回から2回程度で更新していましたが、7月2日に「W杯を観ています」という記事を出してから止まっていました。

そのころから、体調に異変があったのかもしれません。

53歳とは本当に若すぎます。

早期発見出来ていたら、治すことができたのかどうかは分かりません。

ただ、検診を定期的に受けることは早期発見に繋がります。

恥ずかしい、痛いなどの理由で検診をしない方もいると聴きます。

男性の視点で話すのは申し訳ない気もしますが、是非検診を受けてください。

お姉ちゃん役の水谷優子さんも乳がんで亡くなっています。

水谷優子さんの死が、さくらももこさんの死が、検診の促進に繋がれば、天国のご本人も嬉しいのではないでしょうか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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