インドネシアの津波
image:モーニングショーより
2018年12月22日、インドネシアのスンダ海峡で発生した津波。
死者429人、負傷者1485人という大災害となりました。
ジャワ島西部のビーチリゾート、タンジュンレスンで報道当初から伝えられていたのは人気バンド「セブンティーン」がライブ中で巻き込まれたこと。
このバンドのことを少し知っていたので気にしていました。
当時、多くの観客がライブを楽しんでいました。
image:モーニングショーより
大きく波打つステージ。
この瞬間、観客は何が起こっているのか分かっていませんね。
image:モーニングショーより
その後津波で大きくたわむ会場から観客が逃げようと出口へ殺到していきます。
災害の恐ろしさの一つは、この殺到での死者も出てしまうことにあります。
image:モーニングショーより
当初はボーカルと妻の2人が行方不明と報道されていましたが、ボーカルのファジャルシャーさんは無事でした。
しかし他のバンドメンバーと、妻のディランさんが以前、行方不明になっていました。
ディランさんの死亡を確認した
ファジャルシャーさんはInstagramで、妻のディランさんが見つかっていないことを伝え、祈ってくださいと話していました。
24日午後、ディランさんの死亡を確認したと投稿しました
病院でディランさんの遺体が確認されたそうです。
View this post on InstagramHari ini kamu ulang tahun, aku mau ucapin langsung, cepet pulang sayang @dylan_sahara
津波の翌日、23日がディランさんの26歳の誕生日でした。
きっとライブの中で、ディランさんの誕生日にも触れていたのではないでしょうか。
11月28日に投稿された写真で、2人は仲睦まじく微笑んでいました。
この写真をみつめていると、どんなひとでも生命が一瞬で終わってしまうことがある、その無常を感じざるを得ませんでした。
ファジャルシャーさんは一瞬で愛するひとを失い、変わり果てた姿のディランさんと対面することになりました。
翌日に2人で誕生日を祝う計画を建てていただろうに。
一人生き残ったことが、ファジャルシャーさんを苦しめるのかもしれません。
全くの第三者で、日本人で、何も言葉は届かないかもしれないけれど、自らを追い詰めないでディランさんの分もしっかり生きて幸せになって欲しいと願っています。
今はその気持ちにはなれなくても、ディランさんの魂のためにも、いつか自分の愛するひとをもう一度見つけて欲しいと願います。
津波と被害の原因を分けて考えるべき
現地では行方不明者の捜索活動が続けられていますが、雨季の為難航しているといいます。
救助の遅れで行方不明者の死亡が決まってしまいます。
そして16000人以上が家屋を失いいまも苦しい状況が続いています。
この未曽有の大災害を起こした津波の原因と、被害の原因は分けて考える必要があります。
津波の原因は、火山島アナククラカタウで噴火により起こった大量の土石が海に滑落したことで、火山島の周囲に波紋が起こり、対岸にあるスマトラ島やジャワ島沿岸に大きな津波となって押し寄せたというものでした。
image:BBC
湾の最も深いところ、バンダルランプンなどが最も津波が巨大化しやすく被害が大きかった場所ですが、「セブンティーン」がライブをしていたタンジュンレスンも湾に沿ったビーチのため、大きな津波に襲われました。
津波は地震だけで起こるものではないということは、環太平洋沿いの日本でも改めて教訓とすべきことです。
またなぜこれほどまでに被害が大きくなったのかといえば、今回においては人災を指摘する声が大きくなっています。
事後では政府の支援が後手に回っていることもありますが、そもそも警報システムが作動していなかったことが問題視されています。
2004年のインド洋大津波の後、早期警報システムの確立に巨額の資金が投入されましたが、そのシステムは残念ながらもう機能していませんでした。
作動していなかった理由は「資金不足」です。
国家予算が多くない国で、津波のように滅多にない災害に対しては予算がおりづらくなるという事情は理解できます。
しかし国家が国民を守るために最大限の努力をすべきことは明らかです。
何故2004年に十分に得られたはずの教訓が、生かされなくなってしまったのでしょうか。
活火山の活動が活発化していたことは分かっていたのに。
それがとても残念です。
ここで気をつけたいのは、必ずと言っていいほど、なぜ危険なビーチでライブをしていたのか?という非難に繋いでしまうひとがいるということです。
10年以上大きな被害が出ていないのに、ビーチを含む湾全域を「前もって」立ち入り禁止にできるでしょうか。
日本でそうした事例はあるでしょうか。
警報システムが動いておらず誰も強く指摘し改善できなかったことに問題があります。
また活動が活発化しているにも関わらず立ち入り禁止にしなかった政府や自治体に責任があります。
誤った非難を傷ついたひとたちに向けないように心がけたいですね。
自然災害に対して、人間は諦めるというスタンスをとるべきではありません。
起こることを止めることが不可能でも、ある程度予測し、準備し、起きた際に被害を最小限に食い止める努力はできます。
悲しい別れはこれからも続いてしまうのかもしれませんが、ある対策で一人でも多くのひとが助かるのなら、やれることはすべきです。
人災の側面を教訓として、日本が何をしていくのかをこれから見ていきたいと思います。
後になって、死ななくてもよかった、という報道を少しでも無くしたいですね。
みんなができるだけ笑っていられる社会にしていきましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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