偶然アフラックの契約更新をしました
今までありがとうございました。 httpss://t.co/pFkgUUnoMK pic.twitter.com/OiCIDJiGFU
— 山下弘子 (@hirokooo5667) 2018年3月29日
僕はアフラック(Aflac)のがん保険を契約しています。
若いころに父親ががんを患い苦労したこと、そして祖父もがんで亡くなったことから、父親が契約をしてくれていたものです。
20代後半、実家を出る際に契約を自分に変更しました。
つい、3月29日に、アフラックの代理店の方とお会いしました。
本当に単なる契約の更新についての説明だったんです。
いわゆる生保レディの奥様で、津田沼近辺にお住まいらしく、僕も若いころ津田沼近辺でよく活動していたことから話が盛り上がりました。
「マッセリアっていうイタリアンでウェーターしていたんですよ~ご存知ですか?」
「あら~!よく事務所の会合でも使わせてもらってるのよ!美味しいのよね!」
個人的にはマッセリア繋がりがあったことが一番刺さりました(笑)
山下弘子さんが死去されたことへの想い
さて、その翌日30日になって、Yahoo!ニュースを何気なく読んでいたら、3月26日の記事で、山下弘子さんが死去されたことが伝えられていました。
19歳で肝臓がんを発症し、ブログでの発信や講演活動などを続けていた山下(本名=前田)弘子さんが25日、亡くなっていたことが分かった。25歳だった。
(中略)
「今朝6時過ぎに、ひろは旅立ちました。2月末に救急車で入院し、それから3日連続の緊急手術。それからの約3週間はひろは眠ったままのため、意思疎通はできませんでした。ただ、苦しい思いをさせることもなく、また、ゆっくりとお別れの時間を取ることができました」と報告。「皆様のひろに対する温かいメッセージやご支援に感謝しております。ありがとうございました」と記した。
出典:がん保険CMの山下弘子さん死去 前田朋己兵庫県議の妻httpss://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180326-00000017-kobenext-l28
わずか25歳で亡くなられてしまいました。
とても残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
山下弘子さんは、以前アフラックのテレビコマーシャルで、嵐の櫻井君と一緒に出演されていてよく覚えていました。
がんと宣告されてからも、しっかりと前を向いて歩き続けている姿に胸を打たれたことを覚えています。
だからよく覚えていたんですね。
本当に単なる偶然なんでしょう、でも僕にはなんだか偶然とは思えませんでした。
それで、この訃報の記事がぐっと心に飛び込んできたのは間違いないです。
アフラックの公式Webページには山下弘子さんのインタビュー記事が掲載されています。
これはご生前、2016年1月の記事で、写真もまだ健康そうに、はつらつとされています。
でもこの時既に闘病をされているということです。
山下弘子さん。1992年生まれ。立命館大学在学中、19歳の若さで肝臓がんが発覚した山下さん。手術し、復学した直後に肺への転移があり、同時に肝臓がんも再発しました。がんがあったからこその幸せに注目する。生きているだけで幸せなことってたくさんある。
出典:アフラック 19歳で肝臓がんを経験。がんになって、いい子をやめた。https://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/article/page31.html
夫の前田朋己さんのブログに、彼女への想いが綴られていました。
全て胸に迫る、旦那さまの暖かい想いが込められています。
僕が特に感情を揺さぶられた記述がありましたので、抜粋させていただきました。
通夜の夜11時過ぎに、50代くらいの男性がお見えになりました。
「面識はないが彼女は命の恩人だ。ぜひ焼香をさせて欲しい。」
ひろにお会いいただいた後にお話を伺うと、その男性も肝臓癌で、ステージⅢとのこと。
がんと判明した後は、自暴自棄になり、会社を辞め、治療も拒否していたそうです。
しかし、彼女の生き方を目にして、こんなに若い子が頑張ってるんならと、勇気を出して治療を行い、なんと完治。2月からは再就職も果たしたそうです。ひろが多くの人に与えた影響を改めて実感しました。
私にとってのひろは、最愛の妻であり、最高の友でもあり、偉大な恩師でもありました。
彼女と過ごした約5年間が私の人生で一番幸せな時間だったと思います。出典:今を生きる 〜山下弘子のほのぼの日常〜https://www.yamashitahiroko.com/
読みながら涙が込み上げてきました。
まずこの文章は、誇張したものでも無く、全て真実であることは疑う余地もありません。
病とともに闘われた旦那様が公式ページでお話されていることですから。
自暴自棄になっていた50代の男性の方が、勇気をもって治療し、完治できたことをお祝いしたい気持ちになりました。
ひとは、行動や発言で誰かに勇気を与えたり、与えられたりします。
山下弘子さんは、きっとこの男性のことを知らなかったでしょう。
コマーシャルか、著書なのかは定かではないですが、ひろさんを知った男性が、勇気をもらい完治させることができたことは、まさに奇跡なのかもしれません。
本当は自暴自棄にならなければ元々治せていたのかもしれません。
しかし自暴自棄のままだったら、確実に死が待っていたでしょう。
人間が起こせる奇跡があるとしたら、行動や発言で動き出すきっかけを与えてあげることぐらいです。
「他人から人を変えられない」ということは心理学でも常識と思いますが、変わるきっかけは、人から授かることができるのかもしれませんね。
良い出会い、良いきっかけさえあれば、人は生まれ変わることだってできる。
僕はこのおはなしから、その想いを新たにしました。
山下弘子さんご自身には、過酷にも奇跡は起こりませんでした。
でも、誰かの命の中に山下弘子さんは生き続けているんです。
httpss://twitter.com/hirokooo5667/status/794213802279477248
子どもが欲しかった
山下弘子さんは、生前に子どもが欲しかったと涙を流していたそうです。
2012年、19歳で余命宣告され、闘病に入った山下さん。
闘病中に多くの海外旅行をしました。
2017年末に「子どもが欲しい」と医師に相談をしたところ、もう手遅れだと言われてしまいました。
医師は「あなたはもう無理です」と告げた。生殖機能に影響する可能性がある抗がん剤治療を、弘子さんは既に5年近く受けていた。
「子どもがとっても欲しかった」と泣きながら訴える弘子さんを慰めながら、前田さんは「治療のリスクを、がん診断から5年後に知らされたことに驚いた」と唇をかむ。出典:神戸新聞NEXT
治療開始時にリスクを知っていたら。
そう思ってしまう気持ちも十分に分かります。
もしその時に聴いていたら、海外旅行や講演会をするよりも先に、子どもを授かることを考えていたかもしれませんね。
まとめ
命がじきに失われるかもしれないと強く感じた山下弘子さんは、ダイビングに富士登山と、精力的に活動されたそうです。
きっと、思い残すことの無いようにという気持ちがあったでしょう。
旦那さまともご結婚をされて、お写真を拝見し、とても輝いてみえました。
そんな山下弘子さんも、妊娠をすることは止められました。
多くの人に影響を与え、生きる尊さを教えてくれたのに、彼女は子どもを得る喜びを得られなかったことはとても残念です。
医療従事者による情報提供の徹底、相談支援、生殖機能を温存するための経済的支援を求める活動を、夫の前田朋己さんが進められています。
がん闘病者が母親になることは、子どもを残してしまうことの葛藤もありますが、それでも「逢いたかった」と願い、産むことは許されなければいけないと思います。
僕は山下弘子さんから学べることは多いと思います。
やれることはないかな?
時間を浪費していないかな?
この1秒を大切に生きているかな?
「命は限りがあるもの」と強く自覚をできたら、しばらく目を閉じて、こんな言葉を思い浮かべて、目を開いた瞬間からなんでもいい。
行動を起こしてみてはいかがでしょうか。
喧嘩ばかりしている親に、生きているうちに感謝をしておかないと。
就活落ちてへこんでないで、できることを考えよう。資格の勉強だっていいじゃないか。
上司に怒られてばかりだっていいじゃないか。転職したっていいし、生きていれば必ず朝が来る。
この地球の人間という生物に魂を宿し、日本という世界でも稀にみる平和を築いた国で生きられることの幸福さを、僕たちはつい忘れがちです。
がんなどの大きな病があっても、なおも前向きに生きられるひとの強さをを胸に、また生をまっとうしましょう!
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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