アンドロメダ瞬が性転換だと…!?
Netflixアニメ「聖闘士星矢: Knights of the Zodiac」の製作が始まっています。
海外でも人気の作品なだけに、海外スタッフが中心になって製作するとどうなっていくのか、楽しみ半分、不安半分というところで気にかけていました。
そんな折、えらい情報が舞い込んできました。
なんとアンドロメダ瞬の性別が女性に変更されている!
ということで、巷では論争が起こっていますね。
Eugene Sonというスタッフが事情説明してかえって炎上。
「ポリコレで逃げ腰だ!」「原作通りつくれ!」という批判の嵐に晒される羽目になりました。
まあ百聞は一見に如かず。
まずはNETFLIXで公開しているティーザー予告編をご覧ください。
アンドロメダ瞬といえば、美しい女性のような風貌と、ちょっとなよっとした性格が代名詞。
兄貴のフェニックス一輝に守ってもらうのが定番の展開です。
その頼りなさと、本気出したら僕だって~!感が受けて、当時も女性人気を勝ち取ったキャラクターのはずです。
それがまさか女性に変更だと…?
では映されるアンドロメダ瞬をよーく見ていきましょう。
これだと、遠いせいか昔の瞬とさして変わらないような。
うんうん。
ネビュラチェーンを放つ瞬間ですね。
うーーーーん、これもまだ、分からないぞ!(認めたくない!)
ていうか一昔前のポリゴンゲームのCGみたい?
はい、女の子でした!
このアングルで完全に女の子だと判明しました!
もちろん声優も女性でした!
認めざるをえない(^^;;
でもちょっとかわいいかも。
どうしてスタッフは、アンドロメダ瞬を女性に変更したのでしょうか?
世界中の原作ファンからブーイングが来ることは予想できたはずなのに?
アンドロメダ瞬を女性に変更した理由は?
「聖闘士星矢: Knights of the Zodiac」でストーリーエディターとヘッドライターを務めているEugene Sonさんが、アンドロメダ瞬の性別変更についてツイッターで解説していました。
(2018年12月現在はアカウントを削除済)
この「事情説明」について把握したいと思います。
投稿はアカウントごと削除されていますが、ブロガーさんが翻訳してくださったものがあったので拝借いたしました。
以下がみやもさんの投稿です。
Netflixアニメ「聖闘士星矢: Knights of the Zodiac」のストーリーエディター&ヘッドライターを務めるEugene Sonさんが、本作でアンドロメダ瞬の性別を女性に変更した件についてTwitterで解説したのをざっくり翻訳。意訳もあるので、大体こう言ってるかなーくらいで参照のことhttpss://t.co/NG3PS3qew5 pic.twitter.com/KB5vZRwhi2
— みやも(大阪府) (@miyamo_7) 2018年12月9日
それでは、イメージしやすいようにEugene Sonさんのお顔と、その下に英文・訳文を掲載します。
とっても長くて回りくどい文章なので、頑張って原文を読みたくないひとは、この後で要約をしているので、すっ飛ばしてください(^^♪
Eugene Sonさんの説明、いかがだったでしょうか?
かなり遠回しにいろいろ説明をしていて読みづらいので、ごりっと要約(一部意訳・補足あり)してみました。
・作品の中心的な存在になるブロンズ聖闘士が全員男性なのは世界の風潮的に問題。
・全員男性キャラクターのままで作るといろいろと差別について批判をする人たちからの圧力がとっても怖い。
・なるべく従来の女性キャラをメインに変更するような改変を加えたくなかった。
・アンドロメダ瞬を女性に変更するくらいならストーリー上なんら影響なく変更できる。
・子供のころ大好きなキャラがアニメで男性に変更されたときに自分には受け入れられたから、みんなだって受け入れられるはずさ。
・東映からも批判があったが押し進めた。
・文句があるなら公開されたものを観るべし。
こんなところでしょうか?
他にも様々な異論反論が噴出していたようですが、これだけしか答える許可が無かったのでとりあえずツイッターで答えてみたというのが、この解説の理由らしいです。
しかし結局炎上してしまいアカウントごと削除する羽目になったわけですが、結果をみれば炎上商法的な臭いもプンプンしてきますね…。
だってこれで早期にYahoo!ニュースのトップにまで躍り出てきて、ネット公開のリメイクアニメとしては十分すぎるほどの宣伝になったのでしょうからね。
本当に結果オーライだったのか、狙ったのかといえば、Eugene Sonさんの “黙ってられないキャラ” の可能性があるので分かりませんけどね。
色めきだつ世界中の原作ファンに対する説明として、長文ではあれど、これが真摯な答えとは思いません。
何故なら長文の序盤に持ってきている、ポリコレの批判が怖いから変更したというのが本音だと思えるからです。
大きな変更はしたくないから、変更しやすいアンドロメダ瞬で。
逃げ腰からくる安直さが透けてみえますよね。
ポリコレを意識するのなら、この作品の中でブロンズ聖闘士が男性であっても、なんら性差別では無いことをしっかりと主張し、出来上がった作品で証明することの方が真摯な態度だと思いますが、皆さんはどう思いますか?
さて、この問題の本質は、このポリコレだと思われますが、そもそもポリコレって何?というところから説明してみましょうか。
ポリコレとは?
ポリティカルコレクトネスの略称です。
よく簡単な説明では「政治的公平性」と言いますね。
Wikiではこのように説明されていました。
日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、容姿・身分・職業・性別・文化・人種・民族・信仰・思想・性癖・健康(障害)・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
出典:Wikipedia
つまり差別的にならないように表現を正していきましょうという表現運動みたいなものです。
日本で行われてきたポリコレの考え方に基づく用語の変更として、有名なものをいくつか実例であげます。
・看護婦と看護士を「看護師」に変更
・障害者を「障がい者・障碍者」に変更
・保母と保父を「保育士」に変更
・スチュワーデスとスチュワードを「客室乗務員・フライトアテンダント・キャビンアテンダント」に変更
・女優と男優を「俳優」に変更
ポリコレという言葉が普及する前からこうした変更はジワジワと、静かに行われていましたが、本場のアメリカ合衆国からポリコレという言葉が輸入されてきたようなかたちです。
ここで大事なことは、「聞き手が不快になる言葉かどうか」がポリコレの対象になっていくはずなので、例えば障害者に対して「害という言葉は適切ではない」という想いから変更していくのは、分かります。
ただし物事には逆の目線もあって、障害者(ここではあえて使います)の方にとって、変に意識されているという感覚が返って不快という感じ方があることも忘れてはいけないでしょう。
このことから分かるのは、表現を変えて欲しいという当事者の切なる願いがある一方、実は当事者ではないひとたちからの押しつけで「表現狩り」が行われてしまっている実情です。
「良かれと思って指摘する」という体の批判を恐れ、テレビや新聞、雑誌といった表現の媒体は表現の変更を余儀なくされていきました。
そうした媒体がなければ発表の場が奪われてしまうため、表現者たちも従来の表現を変えていくことになりました。
このポリコレの運動は、アメリカ合衆国を中心に世界中に広まっていきました。
なぜアメリカ合衆国で?といえば、移民による「人種のるつぼ」だからでしょう。
白人による黒人やヒスパニック系への人種差別。
女性差別。
宗教差別。
ゲイやレズビアンなどの急増による性差別。
こうしたことが社会問題化するなかで、言葉のみならず、表現に対する徹底的な批判を行う文化が定着しました。
ハリウッドの映画には、その昔は白人が主人公のものばかりでしたが、80年代から徐々に黒人が主人公の作品が製作されるよになりました。
1984年に公開された『ビバリーヒルズコップ』なんかまさに急先鋒ではないでしょうか。
それでエディ・マーフィが大スターになっていったので、この動き自体は僕は素晴らしかったと思っています。
しかしその後、特にネットを媒介として、ポリコレによる「表現狩り」が加速していってからは、ちょっとやり過ぎ感がでてきましたよね。
アメリカ合衆国では何かいうたびに叩かれて訂正してを繰り返すことになり、もう「ポリコレ疲れの状態」と言われているほどです。
これ、日本でもネットを中心に同じことが起こっているけれど、思い当たることはありませんか?
例えば欅坂46が着用した服がナチスの軍服を想起させ不謹慎だ、ということで謝罪に至った問題です。
すっかりポリコレの意識が定着したこのご時世では、あの恰好をするのは言われてみれば不謹慎だから当然だと思えますが、ひと昔前ならあの程度の格好はいくらでも目にしていたものですし、誰も何も言わなかったんですよね。
例えばストリートファイターのベガの格好なんか、どう思いますか?
アンドロメダ瞬とポリコレの問題
image:オークフリー
さて、アンドロメダ瞬の話に戻ります。
アンドロメダ瞬というキャラクターは、男なのに気が優しくて話し方がなよなよとしていて、その姿は見目麗しく美しい女性を彷彿とさせていて、「優男」と「女装」の中間ぐらいに位置する存在だったと思っています。
「女装」といっても中身は男だし、意図して女装しているわけではないんですが、結果的に女っぽく見えるという意味です。
そこに性にも女装にも差別という表現はなく、時に優しく、時に凛々しく闘う姿に感動を覚えたものです。
確かにもともと女性であってもおかしくは無かったでしょう。
しかしあえて女性のような男性にしたのは、決して男性でなければ闘えないという理由では無かったと思っています。
それは兄であるフェニックス一輝との「ブラザーコンプレックス」的なものを描いているという点が挙げられます。
またこれはオマケ的ではありますが、「バイセクシャル」のような雰囲気も醸し出している点も挙げられます。
(実際にバイセクシャルな描写は無く、あくまで読者の期待感といった方が正しいのかも?実際に同人誌界隈ではそうした表現が多数あったとか)
星矢たちとの友情の他に、兄弟愛=ブラコン、そしてバイセクシャルな空気感を描くことで、様々な愛を表現していたはずです。
そう思えば、実に先進的な漫画と思えてきます。
このブラコンを兄と妹に変えてしまうことは、そうした原作が生み出してきた作品の「質」が変わってしまうことを意味しており、むしろ様々な愛を描く意図を否定してしまっているように感じます。
「性差別がダメ」というのなら、男性なのに女性の容姿をしているアンドロメダ瞬を、本当の女性にしてしまおうという発想の方が、よっぽど性差別なんじゃないのでしょうか?
アンドロメダ瞬という、30年前に既にバイセクシャルの匂いを持った「ある意味先進的なキャラクター」に対しての重大な差別だと、LGBT支援団体から訴えられてもおかしくは無いと思うんですが、どうなんでしょうね?
女性が男性のように闘うという表現もあれば、女性のような男性が男性として闘うという表現も「ポリコレ的にアリ」のような気がします。
ポリコレの批判が怖いというけれど、巨大なブーメランが突き刺さっているような気がしてなりません。
まとめ
女装といえば、シルバー聖闘士でミスティというひとがいましたね。
結構な瞬殺具合でしたが、自分の美貌に絶対の自信をもつその姿に衝撃を覚えたものです。
思えば日本の漫画は、リボンの騎士やベルばらに代表されるように、女装・男装の麗人が大好きでしたね。
その流れが瞬にも繋がっていると思えば、日本で瞬が男性だったことは必然だったのでしょうね。
もともと海外でも人気が高い作品のため、出来上がりに対する期待と不安は相当なもののはずです。
みんなにもこの新しい表現を理解できるはずさ!と強引に突っぱねるより、まずは原作に忠実に作ることを考えて欲しいところですが、ここまでティザーが出来上がっているし、もう今さらなのでしょうね。
こうなったら出来上がった作品を観て、改めて評価をしようじゃないですか。
(まんまとNETFLIXの策にハマるの巻!?)
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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